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「パンドラ」キム・ナンギル「方言と15分の演技、諦めたくなるほど苦労した映画」

    「地味に見せたくて、太りました。被ばくしたせいで痛くて腫れているように見せたいのもあります」

    映画でよりも、多少やせた姿で登場した俳優キム・ナムギル(37)は、映画撮影当時に体重を増やした理由を説明した。

    30日午後、ソウル鍾路区昭格洞の某所でキム・ナムギルに会い、『パンドラ』(監督パク・ジョンウ、制作CACエンターテイメント)を主題に話を交わした。映画を見た後、彼はもっと上手くできたのではと考えて、残念がる姿を見せた。

    「時間が過ぎて残念に思う部分が多くもあり、(映画が)長いのではないかとも感じている。とても長いわけではないけど、私が映画を撮って、知っているからなのか、切り取ってほしいものもあり(流れに)ついていっても(待っているシーンが)いつ登場するのかと感じることがる。情報が無い状態で見る観客の場合は、上手くついていけるのではないか」

    メディア試写会の後に行われた記者会見のときとおなじように、ひたすら自分の演技に対して、もうすこし上手くできたのではないかという残念な気持ちを表現する彼に、反対に満足する部分はどこか聞いてみた。

    「原子力発電所の爆発場面で事故が起きた時、原子炉のCG(コンピューターグラフィック)などの編集前に(演技を)したため、どのように表現されるのか気になっていた。原子力発電所のセットをある程度は作って、そこに着せて作ったものだが、よく描けていた。避難する状況を表現するときも、補助撮影者たちが苦労をたくさんした。何回も走ったものを貼り合わせたものだ。私も現場で見ていたが、そうやって撮ったものはスケールが大きく描けたようだ」

    『パンドラ』は原子力発電所の事故を扱った災難映画だ。劇中、災難の前で右往左往する無能な政府の姿を果敢に描写した。これは現在の時局とつながる部分だ。キム・ナムギルは映画の広報の手段として、現在の時局を活用してほしくないという考えを明らかにした。最近、国内で起きた地震と関連しても、慎重な態度を見せた。ただし、映画を通じて安全不感症について警戒心を持ち、万が一起こり得る悲劇的な状況に対して備えることの重要性を映画を通じて伝えることを核心の内容として挙げた。

    「映画的な感覚ではなく、時局とつなげて見てもらうことは負担でもあり、現在の状況に合わせて個人的に広報の手段として活用したいとは思わない。今だけでなく、4年前、監督がシナリオを書いたときにも災難やりコントロールタワーの問題は世界的にあったもので、観客は疲労感を感じているのではないかと思う。(映画を)撮影している当時、地震について、韓国が安全地帯だという安逸な考えをしていた。日本の原発事故はまったく別の国の話だと考えていたが、少し前に地震が起きた時に、この時期に公開することが正しい事なのか疑問に思った。ソウルにいる方も直接的、間接的に感じた方がいるのに、そこにいる方にはもしかしたらトラウマとして作用するのではないかと心配になった。俳優が公開の時期を決定することはできないが、とにかく、安全不感症について警戒心を持たせようとする監督のメッセージがあった。単純に『怖い』よりも『準備をしよう』ということに焦点を合わせなくてはいけない」

    映画で最後に災難を解決する方式は結局、「義兵精神」だ。犠牲になる個人を産むのは、結局、国家ではなく「家族に対する愛」だった。大げさな何かを話す国家ではない、家族を助けたいという純粋で本能的な国民個人の気持ちだ。キム・ナムギルは大げさな英雄ではなく、家族のために行動するひとりの個人の姿を見せようとした。

    「期待心理があったのは、市民として問題が起きた時にシステムが存在していてほしいと願うことだ。だから公権力があるのであり。『アルマゲドン』の韓国版なのかと言われるが、現実的に話したいことは、ハリウッド映画では人物が(親指を立てながら)クールに犠牲になるが、韓国の場合、実際に現実に起きた時、そうできる人は誰もいないだろう。どの国だと言わなくても、ある瞬間から誰かによって法的制度で守るのではなく、家族を守るのだという考えだ。映画でも『事故は自分たち(政府が)が起こして、国民がまた後片付けをする』という言葉が出て来る。『また』と話した時、英雄談ではないと考えた。そのようにして英雄化するということは世界を守るという大げさなものではなく、家族のためなのだ。大げさに見えないようにしようとした。そんなものを撮りながらも、監督と『物語が多過ぎる』と話していたが、いざその閉鎖的なところで孤独にいると、人間の本能とも言えるし、ツンデレだったりまたはお茶目な末っ子の息子のキャラクターだとも言えるけど、英雄化されて見えてほしくないと思っていた」

    彼は最近、国内の地震と関連して、映画でだけ起こりそうだったことが実際に起きると、公開の時期について心配になったと明らかにした。

    「心配をたくさんした。何が現実なのか区別することができない社会を生きていたとしても、制度的な過渡期の中で治すことができると考えていた。自然災害は私たちがどうにかできるものではない。映画が仮想現実だと考えて撮影したのに、地震を自分も経験して怖いと思った。公開することが正しいのか疑問に思ったし、釜山の海の映像も、それも海雲台だ。安全に備える必要があるという考えから、恐ろしくなった」

    今回の映画には、豪華なベテラン俳優が大挙して出演した。そうそうたる先輩演技者と呼吸を合わせたことについてキム・ナムギルは感謝する気持ちを表すと同時に、現場で交感するのが難しかったことについても言及して、結果に対する満足感を表した。

    「長い経験とノウハウを持った先輩たちの演技や映画的なもの、社会的なメッセージ、政治イシューを聞いたとき、私たちがよく知らないものがある。世代的な積集合がある部分もあるが、あの方たちが生きてきた時間がある。現場で一緒にいることだけでも感謝することだ。現場では、相手の俳優を配慮して気遣う時間がなかった。みんなマスクをしてセリフが聞こえないこともあった。体力、セリフ、呼吸が大変で、交感ができるのか悩んだ。私だけでなく、ベテランの先輩たちも悩んでいたが、撮影したときよりも画面で伝達されて共有されたものが正しくて、良かったと思った」

    ソウルっ子の彼は、慶山道の方言で演技しなくてはいけないことについて、震える気持ちを明らかにしたりもした。

    「(監督に)方言を使わなくてもいいのではと提案した。ベテランの先輩たちも、その地域が故郷の人でなければ、流暢に使いこなすことが大変だ。方言はその環境に飛び込んでこそ上手になると聞いたので、演劇している方と一緒に海雲台に行った。タクシーに乗って、『海雲台に行きましょう』と方言で話したら、『ソウルから来られたみたいですね』とにっこり笑われた。完璧な方言を使いこなすことは、欲を超えて野望だった。慶山道の中にも地域が多くて、地域ごとに少しずつイントネーションが違う。撮影するとき、イントネーションに合わせて頭を上下させて、監督に指摘された。6カ月の間撮影しながら、慣れてきたと思ったら撮影が終わった。その後、『殺人者の記憶法』の撮影現場で、方言が少しずつこぼれ出るときがあり、完全には捨てられずにいた。釜山の人がソウルに長く住んでいて、残っている感じだと言われた」

    映画の中で、能力はあるが実益を求める総理と、同じように能力はあるが活躍できない大統領をそれぞれ演技したイ・ギョンヨンとキム・ミョンミンに対する彼の考えも聞いてみた。

    「合井に青瓦台(大統領官邸)のセットを作ってある場所がある。今回、すべての撮影現場に行ったが、青瓦台にだけは行けなかった。(『無頼漢』で)カンヌに行っていた時期だった。撮影を終えて行ったのだが、イ・ギョンヨン先輩が『撮影現場にすべて行くといっていたのに、青瓦台の現場には現れなかった』、『言葉だけだ』と言っていた(笑)現場に行かなかったので、青瓦台のシーンを劇場で初めて見た。途中、編集本でみたときはもっとすごいものもあった。今の時局とは関係なく、ドラマ自体が現実的で面白い。私が多くのキャラクターを見せることができなかったから選択したものでもあり、4年後、こんなことが起こりそうだからと企画したのではない。現在の時局の話は、まったく知らない状態で書いたもので、映画は安全不感症に関する話だ」

    2人の俳優が演技した映画のなかの総理と大統領についても、彼は慎重に自分の考えを明らかにした。

    「後輩の立場からは恐れ多くて話すことができないが、ギョンヨン兄さんが引き受けた総理の役は大統領選挙の候補だったのに、現大統領(キム・ミョンミン扮)に負けた状態だ。それでもその位置について『お前は国政運営の能力がない』と2人が衝突して争うことが多かった。そんな欲望を持つ人物たちだ。長々とした内容は編集したと聞いた。数字を考えずとも、自分を保護しようとする欲望を総理が上手く表現したと考える。ハリウッド映画では、大統領を英雄化する。監督も悩み、キム・ミョンミン兄さんは大統領が何か不便で描くにあたって、慎重になると言っていた。最初の頃は無能力だったのに、覚醒して改善されていく姿を表現しようとしたと聞いた」

    パク・ジョンウ監督との作業については、直接演出も行う俳優として、多くの共感をもっていることを明らかにし、監督と親しい姿も伝えた。

    「冗談半分でのことだが、監督がモニターの前に座っている方ではない。監督が走り回るため、監督の椅子に座って見ることが権威への挑戦のように感じた。今はサングラスをかけて腕組みをして早く入ってこい、出ていけなど、冗談を言ったりもする。演出をしてみて感じたことは、監督がどれほど沢山のことを考えて、頭が爆発しそうになるのかが分かった。俳優は感性を表現する職業なので監督が私を説得して私がそれを感じなくてはいけない。いろいろな監督がいるが、自分のミザンセーヌを持っている方もいれば、撮影しながら出て来るものが現れるように演出する監督もいる。パク・ジョンウ監督はいつもその中間だ。以前だったら、監督が撮影を始めないときは、何を悩んでいるんだと思っていたが、今は監督が解決できない部分があると言えば、待ってあげようと思う。その立場になってみて、ようやくその立場について感じたようだ。それぞれの位置でするべきことがあり、私は演技をまっすぐにしようと考えるなど、感じたことが多い」

    方言と関連した苦労についても話したが、彼が今回映画を撮影して直面した最も苦労した瞬間は別にある。彼はその瞬間をプレッシャーにより逃げたくなったほどだと表現した。

    「最後のシーンがもっとも大変だった。俳優がシナリオを見たとき、欲が出るシーンがひとつふたつあって、それを理由に選択する場合があるが、もちろん基本のストーリーが重要だが、最後の重要な場面に欲が出て、この映画を選択した。順序通りに撮影するというので、最後だからまだまだだろうと思っていた。プレッシャーも感じだが、安心していた。ところがスタッフが私に、これが上手くいけばメッセージの伝達がうまくだろうし、そうでなければただの災難映画になるだろうと言った。安全祈願をしたとき、お酒の席でその話をされたので、遠い未来の話だから分かったとだけ答えたが、時間が経つにつれて逃げたくなった」

    もっとも重要な場面は、俳優とスタッフにとって、撮影が最も大変だった場面でもあった。

    「テイクを3回もした。それなりに準備をしようとお酒も一杯飲んで、一日中待って撮影したのだが、本当にその状況で閉じ込められたらどうだろうと真剣に深く考えた。動画を見たり、感情を高めたりもした。そして撮影をしに行ったら、俳優もそうだが、スタッフも描いているイメージがそれぞれ違っていて、そこに対する期待値が目に見えた。それに対する圧迫感があったが、現場での準備が滞っていて感情が落ちた。そんなことはあまりないけど、極限の状態で一度撮ってみたら、一度落ちた感情が上がらず、そうしながらも顔色を窺い始めた。撮影して(スタッフの)表情を見たら、良かったのか悪かったのかが分かるが、全員、2日前からご飯もろくに食べずに準備して、言葉では言わなくても、どうだったのか表情で質問すると、視線を外して他の場所でタバコを吸ったりしていたりした。体力が落ちて、2回ほど撮ってから、実はとても諦めたくなった。そんなことは今回が初めてだった。『現場も準備が万端ではなく、私も準備ができなかった点があった』と字幕を出したいと考えたほど、私が持っているものを私が知っているのに、悔しくもあり、私が持っている能力では上手く演じることができず、泣きながら『監督、すいません。私が私を知っていますが、ソウル生まれの方言ではこれが限界です。これ以上、何かできる気がしない』と話した。すると『分かった』とだけ言って、行ってしまった。5分も経たずに、戻って来て、もし、残念だと思うなら、もう一度やろうと言われた」

    諦めたくなるほどに大変なシーンを撮影した当時を回想していた彼は、当時では最善を尽くしたが、もっと上手にできたらという口惜しさと俳優としての欲を隠すことができなかった。

    「設置をして撮影するものが多かった。撮るものを撮って、最後にもう一度やってみようとしたが、すでに体力が限界にきていて、スタッフ、サウンド、扮装などが準備をするのに、閉塞恐怖症のようなものが爆発しそうになった。私が耐え切れずに体を震わせたら撮影が終わった。大丈夫かと聞かれたが、話す力もなくて、監督も常に事実的なことを話してきたから、死ぬ前はこんな気分なのではと思ったけど、俳優もスタッフも満足していて、これで行こうとなった。セリフが長い。1人で15分間、その場面を演技した。(映画は)1と2と3を混ぜて使ってあった。飽きが来ないように持って行くと話したのに、混ぜて使われていて少し残念だった。『最初のほうだけを短くして、15分全部を持って行こう』と言ったら、監督が『そこまで上手ではなかった』と言っていた。(笑)昨日、(試写会を通じて映画を)見ながら、個人的にはその時もう少し熟練していれば、今より力量があればという口惜しさが残っている」

    俳優たちは相手を見ずに演技することが難しいと言う。相手の演技を見て感情を共有し、お互いに適切にトーンを調整することができるからだ。ジェヒョク(キム・ナムギル扮)がソク夫人(キム・ヨンエ扮)、ジョンヘ(ムン・ジョンヒ扮)、ヨンジュ(キム・ジュヒョン扮)の顔を見ない状態で話す場面を撮影して、彼は実際に3人の顔を直接見ることなく、感情演技をする状況に置かれた。

    「私には会わずに、その方たちが映像を見て演技することになった。スケジュールが合わないから、それから撮った。私が簡易扮装をして、映像を撮った。それを見て3人の方が演技をした。一度そのようにしたら、私が感情を考えずに、『ふり』をしようとしていた。一度そうなった感情は来ないからだ。観客が退屈してはいけないし、感情は伝えなければならず、そのようなことのためにセリフを早めに言ったら、死ぬ前なのに早口なのが(変だった)。いろいろなことを思ったけど、その情緒上、弛まないようにすることができなかった」

    恋人として呼吸を合わせた新鋭キム・ジュヒョンに対しては、不足していることをお互いに埋めることができると感じたという。

    「経験は多くはないが、監督がこだわっにキャスティングをした。私が1人で引っ張っていくわけではないが、数人の俳優たちが引っ張っていくもので、役割自体が大きな担当をするのに、監督がどのようにしたら良いかと、それとなく聞いてきた。その友人が経験的に不足しているのは、私が埋めればよく、私に足りないものは、その友人が埋めてくれればいいと思った。彼女が苦労をたくさんした。バス1種免許も直接取った。監督が現場で悪口をたくさん言ったが、情感を持って話した。人々が数字を作ってくれて、スタッフが数字のパネルを持ち上げると、監督が『分かった』と言った。監督が選択したからと信じて、ジュヒョンに対して、さらにスパルタ式に教えた。電話のシーンも現場に来て直接演じてほしいと思っていたが、よくしてくれた」

    一緒に出演したキム・デミョンとは同い年だ。共通点が多く、彼と多くの話を交わして親しくなった。現場に応援に来てくれたファン・ジョンミンについても言及した。

    「同い年で、話をする共通点が多かった。『未生』でホットなときに来たのだが、『未生』を見て私もやってみたいと思った。ドラマが現実的なものよりもメロに多く行くが(『未生』を介して)、その職業の話を間接的に経験して得ることができ、演技について話すことが多かった。年齢、環境などの共通点が多く、話をたくさんした。私は撮影が残っていたのに、出て行くので『どこに行くのか』と尋ねると、イム・シワンのファンミーティングに招待されたと言っていた。現場に遊びに来てと言ったが、来なかった。ファン・ジョンミン兄はちょうど釜山で『検事外伝』を撮っていたので、現場に来てくれて、元気づけてくれた」

    映画が、息苦しく見えることについて、彼は普通の国民の姿を描いたものだからと理由を説明した。

    「セリフが良いからと涙ぐむよりも、復旧組に入る前から、なぜ私たちが入るのか(話す時)、実際には今までそのように生きてきたことについて、今の私たちの話を代弁するように見えた」

    最後に彼は、自分が過去、ロールモデルにした俳優たちに言及して、構築してきたイメージを説明した。前作を介してそのようなイメージから脱し、変化した姿を見せた彼は、今回の映画を介して別の新しい姿を見せる予定だ。

    「子供の頃からロールモデルが明確だ。イメージを一つ構築するほうが良いと思って、トニー・レオンと張震をロールモデルにした。演技するのを見ると、「サッド・アイ」というニックネームを持つトニー・レオンは、か弱さと退廃的な面が共存している。そのようなイメージを構築しようという考えがあった。それが危険かもしれないし、利点になることもあるが、開始する立場ではイメージの構築が必要だった。周辺の方は、キム・ナムギルの姿そのままだと言われるが、観客にとっては自分の姿がぎこちなくありながらも、こんな姿があるのかと感じられたのが『海賊』だった。『パンドラ』は方言を使う役であり、世間知らずの青年なので、乖離感があるのではと心配だ。方言は完璧でなくても、方言が上手なのかの問題よりも、方言を使う私の姿そのものが観客にとってぎこちなく見えるのではないかということが心配だ」
  • シックニュース チェ・ジョンウン記者 / 写真=CACエンターテイメント提供 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-12-03 09:14:00