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千葉ロッテ李大恩…夢は今も「メジャーリーガー」

    日本プロ野球にまた再び「野球韓流熱風」が吹き込んでいる。

    前シーズンの日本シリーズ優勝を味わった「ビッグボーイ」李大浩(イ・デホ)でも、日本進出初年に最高の「守護神」となった呉昇桓(オ・スンファン)でもない。アメリカメジャーリーグ(MLB)を夢見たが、マイナーリーグで「涙に濡れたパン」を味わう時間が長かった李大恩(イ・デウン、26)が新たな野球韓流熱風を巻き起こす主人公だ。

    今シーズン日本プロ野球千葉ロッテマリーンズ先発陣を力強く守っている李大恩は4試合に先発登板し3勝無敗で防御率3.33を記録している。今月19日、李大浩が所属するソフトバンクと対戦したホームゲームに先発登板した李大恩は7イニング8被安打に無失点の好投を記録し、李大浩、呉昇桓を抑えて日本の舞台で駆け抜ける韓国人選手の中で最高の活躍を見せてくれている。

    ワールドベースボールクラシック(WBC)にて韓国マウンドをしっかりと守ったポン・ジュングン、勧告野球最高の左打者に成長したキム・ヒョンス、高校時代「コリアン特急」朴贊浩(パク・チャンホ)よりも高い評価を受けた「悲運のエース」チョ・ソンミン、プロデビュー初年LGツインズを優勝に導いたキム・ジェヒョンハンファ・イーグルスコーチまで…。

    「野球の名門」信一高等学校出身選手たちだ。李大恩もやはり信一高のユニフォームを着るほどで、早くから潜在力を認められてきた。

    186センチの高い身長から振り下ろされる、高校時代すでに90マイル(約自足145キロ)を超えた強い肩。「右腕正統派」投手登場に韓国野球だけでなく、アメリカメジャーリーグでも関心を隠さなかった。李大恩は信一高在学時代であった2007年6月にMLBシカゴ・カブスと入団契約を結び、「コリアンドリーム」のためにアメリカの地を踏んだ。「アジア投手の1シーズン最多勝記録を破る」と強い自信を持ってMLBに挑戦した李大恩であったが、アメリカ生活は純粋ではなかった。李大恩がアメリカで選手生活を行った機関は2008年から2014年までの7年。カブスは2008年と2009年MLBナショナルリーグ中部地区1位となるほどの強チームであったため、ルーキー李大恩はMLBのマウンドに登る機会さえも受けることができなかった。

    シングルAにてプレーした2008年には「トミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)」まで受けたため、以前のような技量を引き出す機会を受けることができなかった。手術を終えた李大恩は2009年中盤に復帰したが、MLBのマウンドは李大恩には遠く感じられた。

    2010年からさ九年まではカブスが中部地区最下位圏となり李大恩もやはりファンたちの記憶から徐々に忘れられた。マイナーリーグで技量を磨き上げたが、時間が流れ年齢を重ねてこれ以上「有望株」として認められることがないためMLBのマウンドはさらに遠ざかった。

    李大恩はカブス傘下のマイナーリーグにて135試合をプレーして40勝37敗に防御率4.08を記録した。MLB挑戦の夢を諦め切れなかった李大恩だったが、千葉ロッテマリーンズがアメリカにスカウトを送るほど李大恩獲得に力を注ぎ、昨年末に李大恩はアメリカ生活を「暫し」閉じて日本の舞台に進出した。

    MLBにてほとんど見せたことがないため、李大恩が千葉ロッテマリーンズのユニフォームを着たとき、多くのファンたちが「マーケティング用」だと考えた。優秀な外見もやはり李大恩が持つ大きな武器のひとつであったためだ。李大恩が試合のたびに数多くの女性ファンを呼び込み、千葉ロッテマリーンズの観客を集めていることも事実だ。

    しかし、李大恩がファンたちに認められる真の理由はやはり実力だ。ここに直球だけでなく、多様な変化球まで自由自在に駆使しながら日本現地野球人たちに高い評価を受けている。「必ず勝つという考えだけでマウンドに立つ」という李大恩。彼の目は今もMLBに向かっている。李大恩は「日本で成功した後、再びMLBに挑戦したい」と話した。
  • 毎日経済_チョン・ソンファン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-04-23 08:38:58