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「リオ五輪」キム・ソヒ、女子49キロ級でテコンドー初の金メダル

千辛万苦の連続…「テコン女帝」キム・ソヒの勝利 

    △写真=キム・ソヒが18日(韓国時間)、リオ五輪女子49㎏級の決勝で、セルビアのティヤナ・ボグダノヴィッチを破って金メダルを獲得した後、歓呼している。 [オリンピック写真=共同取材団]

    試合は終わったが、キム・ソヒ(22才・韓国ガス公社)はすぐには歓声が上がらなかった。終了と同時に試みたティヤナ・ボグダノヴィッチ(18才・セルビア)の攻撃が認められた場合、目の前で金メダルを逃す状況だったからだ。ブラジル現地に飛んで試合を見守っていた親のキム・ビョンホ(52)さんとパク・ヒョンスク(52)さんも、とても頭をあげることができなかった。しばらく静けさが流れた後、競技場の上に上がった審判は手でX字を作って見せた。 7対6の1点差の勝利。大韓民国7番目の金メダルが決定した瞬間であり、これまで有望株に分類されていたキム・ソヒが「テコン女帝」に成長した瞬間だった。

    金メダルが確定されると両手を振り上げて喜んだキム・ソヒは、「オリンピックに出るまであまりにもつらく、天道無心だと思った。ところが今は天に感謝する」と言って明るく笑った。

    振り返ってみると、そのどんな成果も容易には得たことのないキム・ソヒらしい勝利だった。忠清北道の堤川(チェチョン)で大きなカルビ家を運営していたキム・ソヒの家族は、突然の大火事で莫大な借金を抱えた。キム・ソヒが小学校1年生の時に起きたことだ。それ以後、キム・ソヒの両親は運動する娘を後押しするために食堂を経営し、明け方から夜まで仕事を休むことのない厳しい生活に耐えた。

    そんな両親を見て育ったキム・ソヒもまた「アクパリ(貪欲で片意地)」になるしかなかった。 2011年の慶州世界選手権大会では、指の骨が飛び出す大けがをしても棄権せず、優勝を手にするほど根性は人一倍だった。また、背(165㎝)がそれほ大きくなく、体重(普段は46㎏級)も軽い体格だが、ソウル体育高校1年だった7年前にコーロン区間マラソンで総合3位を占めるほどに体力も優秀だった。ニックネームは「酸素タンク」だった。

    それ以後、キム・ソヒは2013年にメキシコのプエブラで開かれた世界選手権大会女子46㎏級で2連覇を遂げ、2014年の仁川アジア大会女子46㎏級も優勝し、世界トップクラスの選手に浮上した。

    しかし、オリンピック出場はまだ難しかった。 2012年ロンドン五輪まで韓国は、57㎏級よりも軽量級に出場したことが全くなかった。ひとつの国で男女2クラスずつ、合計4つの体重別階級にのみ出場することができたからだ。幸いなことに今回のリオ五輪から、体重別階級別に上位6位まで出場権を与えたが、オリンピックの舞台に46㎏級はなかった。しかたなく、いつもは46㎏級のキム・ソヒはオリンピックに合わせて、通常の大会は46㎏級で、グランプリは49㎏級に体重を調節しながら進めた。オリンピック直前までキム・ソヒのランキングは7位だったが、6位以内にタイの選手が2人いたことで、最後のチケットをようやく手にすることができた。

    千辛万苦の末に進出したオリンピックでは、自分より背も体格も大きな選手を相手にしなければならなかった。キム・ソヒは16強戦でユリッサ・ディエス・カンセコ・ベルデ(ペルー)を10対2で下しただけで、その後は毎回一点差の薄氷勝負を繰り広げた。試合直前まで足首に包帯を巻いている必要があるほど体調も良くなかったが、集中力で一試合ずつ勝ち進めた。

    準々決勝ではパニパック・ウォンパッタナキット(タイ)と対戦し、終了4秒前に頭部への攻撃を成功させて6対5の勝利を収め、パニパック・ウォンパッタナキット.ヤスミナ・アジエス(仏)との準決勝では延長戦にまで進み、1対0の辛勝を得た。

    ティヤナ・ボグダノヴィッチ(セルビア)との決勝戦でも気を抜くことはできなかった。世界ランキング1位であり、2008年の北京五輪と2012年のロンドン五輪金メダリストの呉静鈺(29才・中国)を下して上がってきたボグダノヴィッチも手ごわい相手だった。キム・ソヒは第2ラウンドに頭部への攻撃を成功させ先行したが、警告を7回も受けて3点を差出し、最後までつらい試合を展開しなければならなかった。足がふるえるほどに厳しい状況を持ちこたえたキム・ソヒは、初出場したオリンピックでついに金メダルを首にかけた。

    試合終了後、敗者のボグダノヴィッチの手をあげるスポーツ精神を見せてくれたキム・ソヒは、「インターネットで見るとわが国の金は6個だった。ラッキーセブンになるように、昨日は夕方までに祈って寝た。ラッキーセブンを満たしてうれしい」と、ふさがっていた「金脈」をつきやぶった所感を語った。

    キム・ソヒは「いろいろ記事を見ると、テコンドーはおもしろくないと嫌われている」とし、「テコン5兄妹がリオ五輪に出場するまで本当にがんばってきた。国民が励ましてくれたらうれしい」という願いを打ち明けた。
  • 毎日経済_イ・ヨンイク記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-08-18 20:53:41