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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    韓国で逆走行で有名な歌謡は何がありますか?(上)
  • A.
    韓国歌謡界を代表する逆走行曲を選べと言われたら、どうしてもEXIDの『UP&DOWN』を挙げなければならないでしょう。坡州(パジュ)の慰問公演でファンが撮影した動画がSNSに上がりながら、解散の危機に追い込まれていたチームを救ったというから、逆走行の代表として遜色がないですよね。

    実際、韓国歌謡界で「逆走行」という言葉を取り出したきっかけもEXIDハニのファンカム映像でした。その後、ヨジャチング(GFRIEND)の『Me gustas tu』とイ・エランの『百歳人生』が逆走行の甘い味を享受した。

    これら曲は、すべてSNSの恩恵をたっぷり受けました。最近、SNSのほかにも、放送に出たり、他の歌手がリメイク曲で歌いながら、新たに人気を集める歌謡が増えています。

    考えてみれば、1990年代半ばまでは逆走行があまり不思議なことでもなかったのです。放送以外の広報手段もなかったうえに、音盤市場も小さく、大衆が曲を知るまでにかかる時間がかなり長かったです。店に行きCDを買う必要があったから、夜12時に音源を出し、即時に大衆が聞ける現在とは違うでしょう。

    アルバムを出してもあまり人気を引きつけることができず、失望する。ある日、道を歩いていて、自分の歌が聞こえてたという歌手の話は、1990年代半ばまではよくありました。その当時は歌手に空白期というものはありませんでした。アルバムを出して粘り強く活動して、次のアルバムも出して、また粘り強く活動して、その次のアルバムを出して、このような方式でした。

    歌謡界のこのようなパターンに変化をもたらした歌手は、ソ・テジでした。ソ・テジはアルバムを出して活動をし、3~4カ月程度の短い休息期を持ち、他のアルバムを準備する方法を選びました。韓国歌謡界では前例を見ないパターンでしたね。

    ソ・テジ以降、韓国歌謡界はアルバムを出せば、短い期間、放送や路上、夜の舞台などで火力を集中して宣伝し、1カ月以内にあまり反応がなければ、活動を狭めてしまうのが大勢になりました。韓国歌謡市場の主要な消費者が、流行に敏感な10代に変わり、新たにリリースする音源やアルバムを短時間で売りさばく構図が定着しました。ソ・テジに続いて、H.O.Tが登場し、歌謡市場は現在のようなパターンで定着しました。

    インターネットが普遍化しながら、アルバムを買う人は珍しくなり、音源市場が座を占めると、曲の循環は以前には想像できないほど速くなりました。早く登場して早く消える特性上、インスタント音楽という批評も出たが、市場の状況に付いて行くには、そうするしかなかったのでしょう。

    古い歌手は音楽があまりにも軽いと批判し、10代と20代の幼いファンは、昔の歌はダサいと軽蔑しました。1990年代に流行したダンス音楽や2000年代初頭を風靡した牛追い唱法も過ぎ去った流行にすぎなかったのでしょう。チャン・ユンジョンのような演歌(トロット)歌手も人気を得たが、あくまでも例外的な事例に留まっただけでした。

    君、まだこんな歌を聞いているの?このような雰囲気を変えたのは、『スーパースターK』と『私は歌手だ』のような競演プログラムでした。

    MBCの競演プログラムである『覆面歌王』で『たばこ屋のお嬢さん』を歌うキャッツガールのチャ・ジヨン。ユン・ドヒョンも自身のリメイクアルバムに載せたことがあったこの歌の原曲は、1991年にソン・チャンシクが発表しました。

    競演プログラムが復古(レトロ)ブームをもたらしたのです。1990年代を思い出す歌が舞台の上で歌われて、過ぎて行った名曲が再び照らされる機会が増えました。最近、歌手がリメークした曲を聞いてみると、原曲を聴きたい欲求が生まれます。以前の歌手が歌った原曲がチャートに編入される流れが生まれたということでしょう。

    歌が良いから生じた現象です。良い曲が時代を問いますか?時代を問うのは気まぐれな大衆の目と耳ですよね。

    インターネットが中断させた逆走行をインターネットが進化したソーシャルメディアであるSNSが生き返らせました。大衆文化の気流は本当に千変万化ですね。

    逆走行に成功した代表的な歌謡は、次回に紹介しま​​す。