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  • Q.
    韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(中)
  • A.
    ※ この記事は「韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(上)」の続きです。

    現在活動している韓国芸能人のうち、親の七光りで有名になった芸能人を見分けることは簡単ではありません。しかし、親とは関係なく、自分の演技人生を歩んでいる俳優を選ぶことは簡単です。

    代表的な俳優がハ・ジョンウです。彼は父親(キム・ヨンゴン)の影響から抜け出すために、親の名前を全く推測できない芸名を選びました。ソン・ガンホ、ファン・ジョンミンと一緒に韓国を代表する男性俳優になった後、キム・ヨンゴンは「ハ・ジョンウの父親」と呼ばれています。反面、ハ・ジョンウが「キム・ヨンゴンの長男」として有名になったことはほとんどありません。

    848万人の観客を集めた映画『国家代表』で全国民にその名を知らせた後になってようやく一般のファン達は彼がキム・ヨンゴンの息子だということを知ることになりました。映画『暗殺』が成功した後、父親にベントレーのフライングスパーをプレゼントしました。だからと言って、キム・ヨンゴンがまったく名前の知られていない無名俳優なのではありません。MBCの公開採用のタレントとして演技生活を始め、ファッショニスタとして有名になった中堅俳優です。

    • < 食べる演技の達人と言われるハ・ジョンウ >

    ハ・ジョンウは大学の一般学科を卒業した後、タレント公開採用試験を受けてエリート演技者になる夢を持っていましたが、修学能力試験(日本のセンター試験のようなもの)に失敗したため、遅くれて実技の準備をして中央大学の演劇映画科に入学しました。その後、アジア通貨危機のときに母親が経営していた事業が倒産して両親が離婚したことから、入試準備をするための演技指導をする家庭教師の世界で有名になるほどに、個人レッスンをたくさんして生活費を稼いだそうです。

    2002年、映画『マドレーヌ』とシチュエーションコメディー『マジメに生きろ』に出演しながら、演技者としての人生を歩み始めましたが、2008年の映画『チェイサー / 追撃者』で連続殺人犯の役を引き受ける前まではあまり注目を集めませんでした。『追撃者』以降はとてもしっかりとした歩みを続けています。今年の夏に公開された映画『トンネル』も公開12日にして500万観客を集めて興行を続けています。

    他に注目すべき二世タレントの男性俳優にはヨン・ジョンフンがいます。父のヨン・ギュジンに続く二世タレントなのですが、デビューしたての頃は出演した場面が全てカットされるほどの苦痛を味わいながら演技者として成長したという評価をされています。

    • < 2世タレントヨン・ジョンフンとハン・ガインカップル >

    MBCドラマ『エデンの東』とSBSドラマ『済衆院』に出演しましたが、ヨン・ジョンフンが実際に世間の注目を一身に集めたのは、女優ハン・ガイン(本名キム・ヒョンジュ)との結婚が発表されたときでした。ハン・ガインが人気絶頂だったときにヨン・ジョンフンとの結婚が発表されて、ヨン・ジョンフンは韓国の男性たちにとって、伝説として伝えられてきた義賊ホン・ギルドン並みの大盗となりました。

    2011年末に離婚した映画監督キム・テヨンが10歳も年下の中国女優タン・ウェイと再婚した後になって、ようやくヨン・ジョンフンについていた大泥棒の札が外されました。

    ヨン・ジョンフンとハン・ガインは幼いころから幼馴染として過ごし、その後に恋人になったのですが、ドラマの授賞式でヨン・ジョンフンが低い声で「ヒョンジュヤ、サランヘ(ヒョンジュ、愛してる)」と話し、シングルたちの胸を引き裂きました。

    ハン・ガインは結婚後、菜食をする自分にあわせて野菜と果物で料理をし、肉食主義者の義父と夫を苦しめているそうです。ヨン・ギュジンは毎日草ばかりを食べていたのですが、嫁がいないときに息子に「こんな風には生きていけない」と不満を漏らしたそうです。

    最近ではスクリーンでもお茶の間でも見かけませんが、俳優キム・スンホの息子キム・ヒラ、チョ・ハンの息子チョ・ヒョンギ、ホ・ジャンガンの次男ホ・ジュノ、パク・ノシクの息子パク・ジュンギュ、イ・イェチュンの息子イ・ドックァも韓国映画界で足跡を刻んだ俳優たちです。キム・スンホとホ・ジャンガン、パク・ノシク、イ・イェチュンなどがあまりにも実力が優れている俳優だったため、息子たちは父親と比較されるなど、苦労したことでしょう。

    韓国で国民俳優として優遇されるアン・ソンギを二世タレントに分類するべきなのかはちょっと曖昧です。韓国でもアン・ソンギの父親が映画俳優だったという事実はあまり知られていません。

    • < 20年は突き詰めてこそ、演技の味を知ることができると助言する国民俳優アン・ソンギ >

    アン・ソンギの父親アン・ファヨン氏はソウル大の文理学科を卒業してアイスホッケー、陸上、10種競技など、様々な競技をたしなみ、体育の先生も務めた体育人です。そんななか、映画界で働く友人の後について2~3本の映画に出演し、制作企画の仕事をしたので、二世タレントに分類することもできます。二世タレントの中でも最も大物と言える俳優アン・ソンギを最後に扱う理由もここにあります。

    アン・ソンギは5歳の頃に『黄昏列車』という映画に出演しました。父親が出演した映画で孤児役を引き受ける俳優がいなかったため、急いで息子を引き込んだのです。10歳のときにキム・ギヨン監督がメガホンを取った映画『下女』に出演して印象的な演技を繰り広げました。

    しかし、小学校を終えた後は演技をやめて韓国外国語大学でベトナム語学科を出た後、学士将校として任官されました。彼が将校になった直後にベトナム戦争が終わったせいで、大学で磨き上げたベトナム語は使い道が無くなってしまいました。その後、子どもの頃の経験を生かして『兵士と娘たち』という映画で再び演技者になりました。

    その後、1980年~1990年を経て、韓国を代表する俳優になりました。監督の出演要請を拒絶できず、若干レベルが足りない作品にも顔をのぞかせましたが、韓国映画がTVドラマに押されていた時期にもドラマに出演しなかった俳優としても有名です。

    アン・ソンギが初めてテレビに登場した番組はMBCのドキュメンタリー『人間の時代』で、この番組に芸能人が出てくるのは彼が初めてでした。アン・ソンギは、自分の人生を率直に、そして妻に忠実な家長の姿を見せてくれました。余談ですが、俳優パク・チュンフンは「アン・ソンギが夢の中で美しい女性が誘惑してきたとき、妻を裏切ることはできないと、無理矢理に眠りから覚めたという話を聞いた」とし「自分が知っている人の中で唯一不倫をしていない人」という言葉も残しました。

    妻のためか、アン・ソンギはベッドシーンとは壁を作った俳優としても定評されていますが、1996年の映画雑誌の世論調査では「妻に対してあまりにも良くしてあげるのが憎く見える」という反応も多かったそうです。

    ※ この記事は「韓国芸能界の二世タレントについて教えてください。(下)」へ続きます。