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  • Q.
    代表的なモデル出身の俳優たちについて教えてください。(5)
  • A.
    ※この記事は「代表的なモデル出身の俳優たちについて教えてください。(4)」の続きです。

    シン・ミナは、中学2年生の頃の1998年にファッション雑誌『キキ(現在廃刊)』の専属モデルに選ばれました。 1999年には雑誌モデルとして人気が相当ありました。当時、歌手イ・スンファンのミュージックビデオに出演し、「あの女性は誰だ?」という反応を得ました。当時は芸名であるシン・ミナはなく、本名であるヤン・ミナで活動しました。

    シン・ミナに芸名を変えた理由も若干苦しい事情です。『バーガー少女』ですごく人気を集めヤン・ミラのために、名前が似ているヤン・ミナを諦めざるを得なかったといいます。自分の名前も使えないなんて、かわいそうではありませんか?
    しかし、シン・ミナとして活動しながら、瞬く間にCFスターとして登板しました。
    真露焼酎の広告を撮る頃には、酒店の前に置いておいた等身大看板が消える事件が新聞や放送に報道されたりもしました。可愛いルックスに骨盤とヒップラインがたまらないベーグル女が路上に立っているのを盗んで行ってしまったのでしょう。シン・ミナは、寄付天使としても有名です。過去7年間に寄付した金額が10億ウォンを超えるそうですね。

    芸能界屈指の童顔女優のイム・スジョンは、高校時代から演技者の夢を持ち、勉強とは塀を作って過ごしたといいます。学校の先生は、そんな彼女について「勉強はできなかったが、とてもきれいだった」という記憶をとどめているといいます。イム・スジョンの同じクラスの友達に向かって、「きれいでない君たちは勉強をしなければならない」という訓示を惜しまなかったといいます。

    イム・スジョンも1998年に雑誌『CeCi』の表紙モデル選抜大会に出て、大賞を受賞して芸能界に一歩を踏み出しました。キム・ミニとシン・ミナが早く、放送や映画界に進出しましたが、イム・スジョンは急がず広告やミュージックビデオだけに出演しながら、時を待っていたそうです。ただ待つのではなく、オーディションはものすごく受けたでしょう。

    本人が言うには50回まで数えて、その後からは落ちた数字を計り知れないといいますが、約300回ほどのオーディションを受けたようですね。そうするうちに20001年のKBSドラマ『学校』シリーズに主演級でキャスティングされ、2003年には彼女の女優人生を大きく開く作品『薔花, 紅蓮(邦題:箪笥)』に出会います。

    この映画の中でイム・スジョンは、妹役を演じたムン・グニョンに対する執着で精神が混迷するようになる姉を表現し、映画界の注目を受けました。韓国のホラー映画史上最多の観客を集めたのに続き、その年の各種映画祭で新人賞を総なめにしました。

    女優としてのイム・スジョンの人生は非常に独特です。特に、演技のレッスンを受けたこともなく、多くの作品に出演することもありませんでしたが、演技力が非常にしっかりしているという評価を受けるからです。たとえ勉強はできなくても、女優としての資質は持って生まれてきたようです。

    ※この記事は「代表的なモデル出身の俳優たちについて教えてください。(6)」に続きます。