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母国の危機には助力を躊躇しなかった辛格浩総括会長

ロッテ、元手は日本だが…48年間、韓国の土壌で育った 

  • ロッテ一家の経営権紛争がなかなかおさまらず、ロッテグループに対する世論で煽り立てる式の批判は魔女狩りのように広がっている。日本で成長した後に韓国に進出して財界5位に育ったロッテは、事実上は政府の特恵で今日に至ったという非難も出ている。しかし、一部ではロッテを日本企業として批判して、特恵で成長したという非難は行き過ぎだとの指摘が出ている。実際、ロッテは最近日本では韓国企業として、韓国では日本企業として非難されて「サンドイッチ」状態だ。さらに中国でもいくつかのソーシャルネットワークサービス(SNS)を中心に、「ロッテが日本企業なら抵制日貨(日本製品の不買運動)リストにあげなければならないのでは」という声まで出ている。

    財界関係者によると、辛格浩(シン・ギョクホ)総括会長は母国が危機に近づいた時に手を差し出すことを躊躇しなかった。ロッテが韓国に進出する前の1951年、韓国戦争の勃発で海外に出ている韓国銀行が「バンクラン(Bank run)」を経験していた当時、在日実業家のシン・ギョクホ総括会長は韓国銀行東京支店に約6000万円(約5億6000万ウォン)を預金した。当時としては驚異的な巨額で、これを機にシン総括会長は当時、東京支店長だった故劉彰順(ユ・チャンスン)前首相と親しい間柄になった。 1997年末のIMF(国際通貨基金)アジア通貨危機の時も、政府が外資誘致に必死になった時にシン総括会長は財界人としては初めて2000万ドル(約234億ウォン)を出資して、5億ドル(約5861億ウォン)の外資を導入したりした。

    特恵で成長したという一部の主張に対しても議論が多い。まずロッテグループ側が1967年に韓国で事業を開始したこと自体が特恵だという主張に強く反論する。

    シン総括会長は社史で、「韓・日修好で母国投資の道が開かれると、当時の政府は私に総合製鉄所を建ててくれといった。そこでフジ製鉄所(現新日鉄)の助けを借りて設計図まで作った。ところでどういうわけか政府は突然態度を変えて、直接製鉄所を作ることになったと言う」と回顧した。グループの高位関係者は、「当時、シン総括会長は日本で成功した企業人だったが、新日本製鉄に従業員として入社して製鉄技術も学んだ」と語った。

    ロッテ出身のある前役員は、「半島ホテルの引受もそうだが蚕室用地の買い取りもそうだし、ロッテの成長過程を見ると、政府の“特恵”よりもむしろ政府の“押し付け”だったというのがより正確な表現だろう」と語る。

    財界関係者などの伝えによると、ロッテの半島ホテル引受過程は政府の介入によるものだった。朴正煕もと大統領はシン総括会長に、「観光公社が経営する半島ホテルが赤字で大きな困難を経験しているので、もはや国営企業に任せておいてはだめだ」と引受を提案した。ロッテが韓国で急成長したことは当時の外資企業に対する政府の支援もあったが、しっかりとした資金力も一役買ったということが財界関係者の話だ。

    ロッテホテルは、ソウルと釜山、ロッテワールドなどの建設のために、かなりの金額の融資を受けなければならない状況だった。過去に韓国の市場金利は18~19%に達した一方で、日本の銀行貸出金利は4~8%ではるかに低かった。ロッテは競合他社の新世界や美都波などが高金利資金を引き出して使う際に、日本の低金利資金を引き出すことができた。その通路がロッテホテルだった。

    そのおかげで通貨危機の当時、系列会社を整理してダウンサイジングに乗り出した他の競合他社とは異なり、ロッテは堅固な資金力を土台に系列会社をただの一社も整理せず、むしろグランド百貨店やローソン、ヘテ飲料、第一製糖の飲料部門などを買収して事業を拡大した。ホテルロッテが韓国で稼いだ資金を日本に移す「通路」ではなく、むしろ今日のロッテグループを育てたシードマネーを日本から取り寄せた通路だったわけだ。

    製菓とホテルに始まったロッテはいまや80社の系列会社を置くグローバル企業に成長し、世界20カ国に進出している。日本の資本を取り寄せて韓国に種をまいたが、これまで48年間をわが国の土壌で成長してグローバル企業として進んでいるのだ。
  • 毎日経済_特別取材チーム=キム・ジュヨン次長(チーム長)/ソン・イルソン記者/ソン・ドンオ記者/イ・セボム記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-08-06 17:45:26