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生涯変わり者と呼ばれた生物学者…去るときには暖かかった後ろ姿

延世大のチェ・ヨン教授、全財産を奨学金に寄付・遺体は解剖用に 

    一生を「変わり者」と呼ばれていた老学者だった。

    講義中の雑談には容赦ない雷を落とし、単位評価もあまりにも厳しくて学生たちは悲鳴を上げるほどだった。しかし、人生の最後の道で彼が見せた姿は誰よりも暖かかった。

    去る22日、大腸がんで死去した延世大生物科学部のチェ・ヨン名誉教授が、全財産はもちろん、遺体さえ解剖学の研究に使ってほしいと寄贈した事実が知られ、穏やかな感動を与えている。享年71歳。

    ひたすら後学の養成と遺伝学の研究に没頭して生きてきた彼が、すべての財産と肉体の両方を後学養成のたに手放したという知らせに、延世大の教授社会はもちろん、学生たちも驚きと厳かな気持ちを隠せずにいる。故人は1962年延世大生物学科に入学して母校で修士を終え、1971年にチャールズ・ダーウィンなどの優秀な生物学者たちが学んだオーストリアのウィーン大学で遺伝学の博士号を受けた。以後、1974年から2010年までの35年間、延世大の教授として生物学の講義と研究活動を行ってきた。韓国遺伝学会と韓国動物学会の理事などを経たが、一度も会長を務めたことがなかった。研究に没頭しながら結婚もせずに一生を独身で過ごした。

    彼をよく知っている先輩や後輩は、「ショウジョウバエの遺伝学をきちんと勉強した国内第1世代の学者で、この年齢なら、学会長のひとつでも引き受けてもよかった」とチェ教授が「官職」を極度に警戒していたと覚えている。また、学生の甘えを受け入れず、ひたすら学問の成果に恐ろしいほどの高い基準を要求したという。

    カナダのオタワ大にいる弟子のキム・オジェ助教授は「延世大で唯一、遺伝学という名前で実験室を持ち、また、唯一、遺伝学を講義する教授だった」とし「試験の問題の5つのうち2つだけ解けてもAをもらえるという伝説があるほど、講義は難しいものだった」と回顧している。

    故人の後輩であり同僚教授であった延世大生命科学部のイ・ジュウォン教授も毎日経済と通話しながら「生涯を質素に暮らした。ひたすら公共交通手段を利用して、日中は『電気料金』がもったいないからと、絶対に研究室の灯りをつけずに窓際から入る日光で本を読む方だった」と伝えた。チェ教授は、そのようにつつましく集めた財産10億ウォンを延世大の白楊路(ペクヤンロ)復元事業に寄付した。また、医学研究の小さな助けになりたいと、肉体さえ母校の医科大学に任せた。

    24日午前9時、ソウルの新村セブランス病院の葬儀場で故人の最後の行く道を追悼する行事が開かれた。「変わり者だ」「独特だ」という修飾語が一生つきまとったが、彼が人生の終わりに見せてくれた巨人のような姿に、参加者は感謝と哀悼の意を表した。追悼式に出席した故人の知人は「学校に来るときも、常にお弁当を持ち歩いたほど、普段から節約して、いつも自分に厳しい基準を突きつけた方だった」だと述べた。

    2005年に大腸がんの判定を受けて、10年に渡る長い厳しい闘病生活を経て、彼は「空手来空手去(何も持たずに生まれて、何も持たずに死ぬこと)」で人生の終わりを迎えた。延世大側は、同日、学内ニュースレターに掲載した「惜しみなく与える木、母校に眠る」という題名の文章で、老学者の最後の歩みを発表した。
  • 毎日経済 ソ・テウク記者 / イ・ユンシク記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-09-24 17:51:22