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死ぬ前に最も後悔すること

    人が人生最後の瞬間に最も後悔することは、何だろうか。統計はないが、ある僧侶の言葉から答えを類推できる。その僧侶は死を毎日のように見送りする。1日に4人を見送ったこともある。2000年には、137人の臨終を見守った後からは、数えることを止めた。おそらく、今まで数千人の死体を見守ってきただろう。蔚山廣域市で、仏教界初のホスピス(hospice)病院のジャジェ(jajae)病院を運営する比丘尼のヌン・ヘン僧侶(55)の話だ。人生の質と同じくらい、死の質も重要であると主張する僧侶は、「人が最後に後悔するのは、なぜ自分は休まず生きてきたのか。もう少しゆっくり人生を送るべきだった」と伝えた。

    多くの人が必要以上に自分を酷使させながら生きている。また、「子供たちとの時間をもっと大切にすべきだった、もっと疎通して親密な過程を営むべきだた」と、一足遅れて胸を打つ。当然の話だが、失うものが少ない人がより穏やかに死ぬだろう。煩悩が小さくて軽いためだ。僧侶が「金のためにあまりにがつがつと生きるのはやめなさい」と助言している理由でもある。

    今、この時代を生きながら、誰が心の余裕があると自身できるか。私たちは何かにほれたように、追われながら生きていく。金山寺でテンプルステイ(Templestay)を運営するたある僧侶は、「以前には、会社員が休暇を受け取ると、3泊4日をお寺で送ったのに、今は1泊2日もしくは日帰りが多い」とし「なぜかと尋ねれば、みんな忙しいという」と首をひねた。

    速度は近代以降の産物であり、遺産だ。デジタル時代とスマートフォンの世界で、我々はさらに、ナノ(nano)単位の生活に慣れてきている。「早く早く」に中毒になった韓国人にとって、速度は美徳であり、ぐずぐずとした対応は最も避けるべきの悪徳だ。その一方で、肝心の私たちは、何か重要なことを逃しているという考えにとらわれている。

    2000年前の古代人はどうだったのだろうか。速度競争から抜け出して、ゆったりと余裕のある生活を生きたのだろう。ローマのネロ(Nero)時代の哲学者であるセネカ(Seneca)の『生の短さについて』を読んでみると、必ずしもそうでもないらしい。セネカは「人間はよりよく生きるために、ますます焦り、何かに追われている」とし「人生を犠牲にして、その上に再び人生を構築している」と語る。金を稼ぐために費やし、陰謀に浪費し、不安に無駄にして、上司にごまをするために浪費して、宴会に数多くの時間を奪われて生きているということだ。

    「いろいろなことに関心を奪われて、散漫になった精神は、そのどれかも心深く、奥深く受け入れず、まるで無理やり口の中に押し込んだ食べ物のように吐き捨てる」という比喩は、この時代に適用してもぴったりではないか。「無駄な忙しさ」を最も警戒したセネカは、外的なことに征服されず、主体的に生きることを主張する。それが幸せの道だという。一週間の人生を宣告されたがん患者に、ヌン・ヘン僧侶は「1日だけ生きよう」と勧める。「1日にするべきことをしよう。それも喜んびながらしましょう」と。そうすると、不安がある程度消えるらしい。忙しい年末を後ろに、遠大な計画を立てる新年が来るが、今日一日を最大限に楽しく生きる方法を探してみよう。
  • 毎日経済 イ・ヒャンヒ記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2015-12-18 16:10:57