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[コラム] 新年の初日

  • ロシアの作家アントン・チェーホフ(Anton Chekhov)が44歳の若さでドイツで死亡した日は、現地の時間で1904年7月15日のことでした。しかし、ロシアでは、その日が7月2日として記録されました。どうしてこのようなことが起きたのでしょうか。

    理由は簡単です。当時、国ごとに使っているカレンダーが異なっていたからです。ドイツでは、グレゴリオ暦に基づいてカレンダーを作りましたが、ロシアではまだユリウス暦を固守していた時代でした。国ごとに使う暦法が違うことから来る混乱だったわけです。

    今日、地球上のほぼすべての国で、1582年に作られたグレゴリオ暦を使います。国ごとにこの暦を受け入れた年が違います。イギリスは1752年に受け入れたのですが、驚くべきことに9月2日の次の日が9月3日ではなく9月14日になり、なんと11日分をスキップしてしまいました。先に紹介したチェーホフの国ロシアは革命直後の1918年1月31日の翌日が2月14日になりました。

    今だからこそ、何でもないことのように話すことができますが、当時のその変化を経験をした人々は、どれほど混乱したことでしょうか。たとえば、ロシアからお金を借りた人が「何があっても、2月7日までに返済する」と約束したのに、いきなり2月7日が無くなってしまったりしたのですから…。

    韓半島(朝鮮半島)では朝鮮政府が1895年に旧暦の11月17日を1896年1月1日にして太陽暦、その中でもグレゴリオ暦を採用しました。

    韓半島に陽暦(西暦)が導入され、陰暦(旧暦)はなぜか取るに足りなくて非科学的という言葉まで出回り始めました。大韓民国政府が樹立した後も、朴正熙(パク・チョンヒ)政府が終わるまで、このような雰囲気がありました。李承晩(イ・スンマン)大統領と朴正煕大統領は非常に徹底した陽暦の信奉者だったんです。

    李承晩政権では陽暦の1月1日と陰暦の1月1日の両方を祝う、「二重過歲」の形が続いたのですが、朴正煕政府では旧正月をなくすために、学校や工場も稼働させるように強制したりしました。

    グレゴリウス3世が暦を新たに作成した理由は、教会内でイエスが復活した日を記念するイースターを確定するためです。イースターがいつであるかの議論は非常に古くからあったのですが、論争を鎮めるために325年に開かれたニカイア公会議で春分の後の最初の満月の直後の日曜日をイースターと定め、春分はユリウス暦で3月21日と確定しました。

    ところが、16世紀に至るとユリウス暦が持つ小さな偏差が累積して、春分が3月11日になってしまった。このような問題を調整するためにカレンダーを修整したのがグレゴリオ暦です。

    これを勘案すると、新年の初日は天文学的に見てあまり重要ではありません。西洋の教会が​​イエスの復活をいつ祝うかを計算した産物であるだけです。

    天文学的に意味がある日は、昼と夜の長さが同じ春分でしょう。春の始まりを知らせる日、ちょうどこの日を1月1日に定めても良かったという気もしますね。そうなると、祝日が一日なくなるのでしょうか、それはいけないですね。
  • O2CNI Lim, Chul | 入力 2016-01-01 08:00:00