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日本企業のCEOになった純韓国人、シンセイコーポレーションの林範植氏

    12年前の2004年には韓国支社の従業員という身分に過ぎなかった林範植(イム・ボムシク)シンセイ支社長が、日本本社の役員に抜擢昇進されたときの社内の雰囲気はそれほどでもなかった。本音を出さなかったが、「なぜ韓国人の指示を受けなければならないのか」という内部の反発は少なくなかった。

    なおのこと彼は歯を食いしばった。社員らには先に手を差し出した。コミュニケーションと配慮をモットーに、組織員たちと共感を形成するために絶えず努力した。すると距離をおいていた日本人従業員も、徐々に心を開き始めた。過度なほどに徹底した日本の企業文化、「パリパリ(早く早く)」とスピードを強調する韓国企業文化も、互いを理解したことで自然と融合した。

    不幸な歴史に綴られた韓・日両国の未来の姿は、まさにこのようなものではないかという気がした。 2012年、副社長に上がると従業員の心からの祝福が感じられた。会社の業績はますます良くなった。

    先月29日に開かれた、日本の貿易会社シンセイコーポレーションの株主総会場。イム・ボムシク社長(56)は日本人従業員と株主の祝福を受けて、最終的に代表取締役社長に選任された。日本企業にスカウトされた韓国人が日本人の幹部との競争で勝利し、人事・財務・営業など全権を与えられた代表取締役社長に選任されたのは極めて異例のことだ。

    イム社長は毎日経済新聞とのインタビューで、「文化と思考が異なる従業員と団結しひとつの体のように働くためには困難が多く、時間もかなり必要だった」とし、「一人で仕事をするならさっさとできるが、大勢で仕事をするなら遠くへ行けるという信念で、社員と溶け合って仕事してきたことが今日の結果を生んだようだ」と語る。これとともに、イム社長は「多くの韓国の若者たちが就職問題などで困難を経験しているが、韓・中・日に目を向けると多くの機会がある」とし、「すぐには難しいだろうが、チャレンジ精神を失わないで欲しい」と助言した。

    シンセイコーポレーションは通信・電子・エネルギー関連の製品を輸出入する中堅商社だ。韓国・中国・香港に支社を置いている。イム社長がシンセイと縁を結んだのは1996年に遡る。漢陽大学工学部を卒業した後、大企業の研究者として勤務したが、中小IT企業に移って中国事業を担当していたイム社長は、南京で偶然に当時のシンセイ社長に会った。

    2000年、シンセイ韓国支社長(部長級)として日本企業での最初の一歩を踏み出したイム社長は能力を認められ、2004年には本社の登記役員に選任された。

    2006年に韓国から輸入したDMB(デジタルマルチメディア放送/日本のワンセグ)の部品で市場を確かなものにしたイム社長に、2008年には絶好のビジネスチャンスが来た。韓国のWiBro(Wireless Broadband Internet)と似たような無線インターネットサービスが日本で開始されると、イム社長は膝をたたいた。外部からノートパソコンなどのコンピュータを無線インターネットに接続するときに必要なルータは、韓国の技術力が最高だと思ったイム社長は、ためらうことなく韓国IT中小企業を訪ねた。イム社長は「良い製品に箸をのせただけで成功したことはない」とし、「韓・日の架け橋の役割りを果たしながら、日本市場に適合した製品に付加価値を加える研究開発と、マーケティングに尽力したのが合致した」と説明した。おかげで2010年は19億ウォン程度だった通信事業本部の売上高は、2014年には55億ウォンまで急増した。

    イム社長は「独自標準が多い日本では、研究開発とマーケティングまで結合したR&DMが成功の鍵」だと強調した。

    イム社長が社内に企画開発本部を設置して新しい事業群を発掘し、マーケティング案を研究する会議を定例化したこともこのような理由からだ。シンセイは2018年ごろに、日本の証券市場への上場も計画している。

    シンセイが日本の会社であることから、韓国や中国などの製品を使用しても、他の日本企業を対象に抵抗なく営業に乗り出すことができるという点も大きな利点だ。イム社長は「日本は物柔らかくて品があり韓国は面白くて中国は変化無双だという話があるほど、3カ国は違いながらも同じ文化を共有している」とし、「経済三国志を合わせれば無限の可能性がある」と語った。
  • 毎日経済_東京=ファン・ヒョンギュ特派員 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-03-01 09:04:27