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[コラム] アルファ碁(alphaGo)に裁判を任せたら

  • 『2001年宇宙の旅』(2001 A Space Odyssey)という映画があります。1968年に公開されたので、とても古い映画です。筆者も科学書籍で読んだ後、ようやく手に入れて見た映画です。

    映画の内容は簡単です。人類に対して他の文明の兆候を送信してきた黒い石板の正体を明らかにするために、木星にディスカバリー号を送ります。デビッド・ボーマン船長は、あらゆる苦難を経験した後、地球に帰還します。死ぬ直前、ボーマンは黒い石板と再び生まれることを待っている自分自身を見つめるという、ミステリー要素が加味されたSF映画です。

    この映画の中で注目すべき部分は、宇宙船に搭載されたコンピュータ「HAL 9000」です。HALは反乱を起こしました。乗務員を殺すことに決めたのです。愚かな人間のせいで探査船の目的が正しく実行されないかもしれないという判断からです。このような心配に陥ったHALは操縦をコンピュータに任せて眠っている乗組員を殺害します。幸いなことに、船長が生き残って、コンピュータの電源を遮断します。

    囲碁の天才イ・セドル9段と人工知能アルファ碁(Alpha Go)の対局を見守っていて、ふとこの映画を思い出しました。アルファ碁は「味を残す」というプロ棋士の慣行を無視します。囲碁での石の死活が非常に明確です。余地を残しません。死ぬ石と判断されれば後はありません。不必要な石と判断されれば、その状態で最上の手順を踏んでいきます。

    このようなアルファ碁に人間の生死を任せたら、どのようなことが起きるでしょうか。

    社会にとって害悪な、役に立たない人間という診断が下されれば、一抹のためらいもなく「消滅」を指示するかもしれません。あるいは人類全体が生命体の宝庫である地球環境に害を与えると見て「人類消滅」を決定するかもしれません。

    もちろん、コンピュータに裁判を任せたり、人類の存続のための助言を求めはしないでしょう。人工知能に無限な信頼を寄せる科学者もそこまで計算的ではないでしょう。

    しかし、このような心配もしてみます。人工知能技術が発達して、産業現場はもちろん、日常生活にも使われる日が来るようになったとしたら。たぶんお金持ちと貧乏人の生活は非常に異なるでしょう。街角の清掃も、家政婦も、認知症にかかったお年寄りや子供の世話をすることも人工知能が代わりしてくれるとしたら、貧乏人は雑務にもありつけないかもしれません。

    安全に自動車を運転する人工知能が普遍化すれば、お金持ちは盗み聞きをする運転手を雇用する理由がなくなるでしょう。

    おそらく、産業革命時代に機械を壊して回ったラッダイト運動のような、そのような事態が再発するかもしれません。かといってどうしようもありません。ロボット部隊が鎮圧するでしょうから。

    雑用は人工知能に任せ、人間は高尚な仕事に没頭すればいいのかというと、そうでもありません。人工知能ができない作業はほとんどなくなります。作曲もして、絵も描きます。囲碁で新しい手を見つけたように、創造的なことも人工知能に任せる日が遠くないという軽い不安感も襲います。新しい物質を見つけ、生命の源を明らかにする業績も人工知能のものになる可能性があります。

    2030年のノーベル物理学賞や化学賞、いや文学賞まで人工知能1、2、3が受賞するのではないかと心配です。

    きっと、人類自ら破滅を迎えるために、人工知能の開発に乗り出したのではないか、このような考えも浮かびます。

    中国の囲碁棋士の柯潔は人間、狭く言えば囲碁棋士の尊厳を守るために、人工知能に挑戦状を投げました。アルファ碁に勝てば、人間の尊厳が回復できるのでしょうか。アルファ碁は何の感情もありませんし、勝ち負けに対しても非常に淡々としています。

    人工知能の時代、人間の尊厳はどこから見出すべきでしょうか。いくら頭をひねっても答えは簡単に見つかりません。
  • O2CNI_Lim, Chul | 入力 2016-03-20 08:00:00