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マリアンヌ修道女「ハンセン病患者が家族のもとへ帰るときが一番幸せだった」

小鹿島で43年間奉仕したマリアンヌ修道女、ハンセン病病院100周年を迎えて訪韓 

    「小鹿島(ソロクト)…、私の愛する小鹿島を再び訪れることができて、本当にうれしいです」

    43年間、故国ではなく韓国でハンセン病患者の世話をしたオーストリア出身のマリアンヌ・シュテーガー(Marianne Stöger)修道女(82)が13日、全羅南道高興(コフン)郡の小鹿島を再び訪れた。11年前に「あまりにも年老いて負担になりそうだ」という短い手紙一枚だけを残して突然この場所を去った彼女だった。別れの切なさを慰めるお別れのセレモニーも、人生を回顧する短い一言もなく、忽然と島から去っていった。

    彼女は「あの日、私たちもとても苦しかった。司教様にも2日前になって話しました。あの日、私たちも泣きました」と多少ぎこちない韓国語で回想した。彼女の体は小鹿島を離れたが、心は最後まで患者を忘れることができなかった。11年が経っても韓国語を忘れていないのは、毎週のように一緒に勤務していた同僚に電話をかけて、患者と小鹿島についての話をしながら韓国語を使ってきたからだ。

    シュテーガー修道女は、小鹿島にあるハンセン病病院の開院100周年を迎える来月17日の行事を控えて高興郡と小鹿島聖堂の招待により韓国を訪れた。緊張したせいでインタビュー前に水を飲み続けた修道女に対して、小鹿島病院の関係者は「私たちの修道女様、大変だ」といたずらっぽく言った。彼女は小鹿島を離れた当時を回想してほしいという要請に「大腸がんにかかって3回も手術した状態だった」とし「43年という時間が毎日あまりにも早く過ぎて、ここで死にたかったけれど、他人の負担になる気がした」と話した。

    当時、大学時代のルームメイトで、自身より4年遅れて韓国に到着して生涯をともにしたマーガレット・ピサレク(Margaret Pissarek)修道女(81)の健康もふるわなかった。幸いにもシュテーガー修道女は健康を回復したが、ピサレク修道女は健康上の理由で韓国を再訪することができなかった。

    小鹿島を再び訪れたシュテーガー修道女は「マリアンヌ・マーガレットの家」と命名された自分の昔の居所に滞在することになる。ハンセン病患者には「おばあちゃん修道女」と呼ばれていた2人のおばあさんは、それぞれ43年と39年をここで過ごした。小鹿島聖堂と高興郡は小鹿島病院100周年記念事業として、翌年のノーベル賞候補に2人の「おばあちゃん修道女」を推薦するなど、彼女たちの犠牲精神を呼気する多様な宣揚事業を準備している。

    しかし、彼女は「イエス様の福音により生きたくて、人々を助けたかったし、看護員として特別なことは何もしていないと考える」と最後まで謙遜した。彼女は「ハンセン病にかかった患者たちが家族のもとへ帰るときが最も嬉しかったし、手と足を手術しても帰ることのできない患者を見るとき最も胸が痛かった」と回想した。

    また「43年間奉仕をしたが、空の広さほどに幸福だったし、韓国でも祈りにより、信仰の中で生きた」と伝えた。

    1916年「小鹿島慈恵病院」として設立された国立小鹿島病院は、今年で設立100周年を迎える。ハンセン病患者を診療して、彼らの自活を助けるこの病院に今年4月を基準にして合計539人の患者が滞在している。この日、保健福祉部のチョン・ジンヨプ長官などが参加したなかで、ハンセン病患者のための文化・体育施設とハンセン病の博物館などが作られる複合文化センターおよび中央運動場の竣工式が行われた。
  • 毎日経済 全羅南道高興=イ・ドンミン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-04-26 19:01:01