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[コラム] 裏切りの季節…今になって政治を風刺するメディア

    笑わせる。
    大統領の後ろで国政を壟断していたチェ・スンシル(崔順実)がまな板に上がった後、電波に乗るドラマとバラエティ番組にはチェ・スンシルと朴槿恵(パク・クネ)大統領を風刺するパロディが満載だ。

    先月30日に放映されたSBSバラエティ番組『ランニングマン』には、「切に願えば全宇宙が」、「このハウスの実勢は私だが」などの字幕が登場した。その前日にはMBC『無限に挑戦』にヘリウムガスで満たされた特殊風船に出演陣を乗せながら「全宇宙の気運を集めて出発」、「最後までとぼける不通王」などの字幕を出した。

    チェ・スンシルパロディはドラマにも進出した。10月30日に放映されたMBC週末ドラマ『オクニョ 運命の女(ひと)』には、巫女が五方袋を渡しながら、「切に願えば、天地の気運が奥様を助けるだろう」と言う場面が出てくる。制作陣はチェ・スンシルゲートを風刺したものだと、堂々と(?)明らかにした。

    パロディも笑わせるが、今となって所信があるように(?)大統領の陰の実勢を風刺する放送局の勇気だ。そのような放送局の勇気を自信を持って報道する一部の新聞の行動も笑わせるのは同じだ。

    チェ・スンシルパロディの先頭に立つMBCは、これまで権力批判に最も発言を控えた媒体の1つだ。政権の下手人に転落したという非難を受けながらも、身体を生かそうとたじたじだった放送局が、権力の侍女だった新聞が、勇敢に権力を批判するメディア本来の使命感を発揮する。そのような行動が笑わせることこの上ない。

    もちろん、パロディが与える笑いは国がひどいありさまになってしまった韓国民に息をつく空間を開けてくれる役割をする。

    しかし、一部の放送が披露したパロディでは、かえっておぞましさが感じられるのも事実だ。メディアも権府の1つだ。メディアが持つ権力は権力機関を監視しろという意味で市民社会が認めてくれた権力だ。この政府に入ってメディアがその機能を適切に実行したなら、いや実行しようという努力を少しでも傾けていたら、韓国の政治権力がこれほどまでに腐敗しなかったことだろう。

    チェ・スンシルゲートが開き、朴槿恵大統領の国政遂行能力に対する支持率が10%以下に急落した後になって、青瓦台(大統領府)の儀式を風刺する行為は卑怯そのものだ。「私、生きよう」とし、泥の中からこっそりと足を引き抜こうとする拙さだけが感じられる。

    「今や、私たちも言うことができる」

    このような叫びでは困る。メディアが沈黙を守る当時、韓国が軍部の鉄拳統治下にあったわけでもない。メディアは権力と手を握って一緒に甘い蜜を吸う楽しさに陥ってしまった。権力を監視・牽制しなければならないメディアが監視対象になってしまった。

    ところが、ドラマとバラエティ番組でパロディだって? 視聴者に笑いを与えたいなら、チェ・スンシルパロディに先立って、メディアは自らを嘲笑とする自虐ギャグを披露するのが順序だ。

    韓国社会が切り抜けていく道が漠然とし、衆意を集めなければならない危機的瞬間だからこそ、知恵を1つに集めるのにメディアの役割が重大だから、なおさらだ。
  • O2CNI_Lim, Chu | 入力 2016-11-06 08:45:00