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[筆洞情談] 共和制

    憲法1条1項「大韓民国は民主共和国である」は、ろうそく集会の歌詞になるほど国民的引用句になった。ここnに出てくる「共和」という言葉が歴史上で初めて登場したのは、紀元前841年だ。司馬遷『史記』周本紀には、周の厲王が在位37年ぶりに百姓たちの反乱で権力の座から追い出される事件が記録されている。王がいない初の事態が起こると諸侯たちが力を合わせて、14年間国を統治するが、司馬遷はこの時期を「共和」と規定した。目を引くのは、周の厲王が追い出された理由だ。その過程がチェ・スンシル(崔順実)ゲートと類似しているためだ。司馬遷は暴政の背後にした人物を指名する。栄夷公、すなわち、自分の利益ばかりを追う架空の人物者だ。彼は無能な王を背負って、あらゆる利権を手にした。王は彼の意見に基づいて、百姓たちの土地を没収して過酷な租税政策を繰り広げた。これに大夫・芮良夫が王に諫言した。「1人が利益を独占することを防がなければ、民心が憤怒します。そうなれば、王が座を保持するのも大変ではありませんか?」しかし、栄夷公の言葉に乗った王にとって忠臣の言葉は、我関せず焉なだけだった。

    百姓たちの誹謗が激しくなると、今度は召公が直言した。しかし、王は一匙さらに突っ込み、魏の巫女をさせて百姓を監視して不平不満を言う人を捕まえ殺した。恐怖政治で皆が口をつぐむと、王はいい気になりながら召公に言った。「私が誹謗する者をなくすから、もう誰もあえて言わなくなった」王のあきれた言葉に召公はこう忠告したが、今見ても名言だ。「百姓の口を防ぐことは、水を防ぐことよりも深刻です。水を防いでいて爆発すれば被害が非常に大きいです。百姓の言葉にも同様です。水を沈める者は水路を開き、水を流す百姓を治める者はそれらを導いて言うようにすべきです」厲王はこの言葉も耳を傾けず、結局追放されて共和時代を開くきっかけを提供した。

    この時、実施された共和制が西洋の「リパブリック(Republic)」と同じ意味ではないが、王に代わって指導者が協治で国を導いたという点で一脈相通じる。今、大韓民国は「民主」も必要だが、「共和」も重要だ。大統領弾劾で最高権力の空白が生じれば、協治が切実なためだ。周は厲王の息子である宣王の時、中興を成し遂げたが、これは14年の共和政治に負うところが大きい。与野党の指導者たちが私心を捨てて共和の価値を上手く生かすなら、危機を機会に回せることを歴史が物語っている。
  • 毎日経済 チャン・バクウォン論説委員 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-11-26 09:36:54