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コリアナウ > 事件事故 > 船が90度傾いて首まで水に漬かってから「避難」、遅れた放送
◆珍島海上旅客船の大災害/死亡・行方不明の犠牲者はなぜ大きく増えたか◆
「急に船が傾いて立っていることも大変なのに、その場にそのままいろという案内放送が流れ続けました」。
16日、全南地方の珍島海上で沈没した清海鎭海運所属のセウォル号に乗っていたユ・ホシルさんは、事故直後の状況をこう説明した。3階船室に乗船し、辛うじて救助されたユさんは、「案内放送の後、船室の前に置かれていた救命胴衣を客室乗務員が乗客に配った」とし、「問題は20~30分ほど手すりをつかんで待っていたら、船がどんどん傾いて海水が入ってきはじめた」と語った。
ユさんは「船が90度ほど傾いて、非常口に向かう通路に出るためには、ロッククライミングのように8~10メートルほど登って行かなければならなかった」として、「同じ船室には女子学生と高齢者など乗客50人以上がいたけれど、みんな抜け出せなかったと思う」と残念がった。
行方不明者が大きく増えた理由は、旅客船側が過度に状況を楽観的に見て、乗客の避難時期を逸したのではないかという指摘が出ている。
救助された乗客らの話を総合すると、客船側は事故が起きた後、すぐに「手すりをつかんで動いてはいけない」という案内放送を行い、船が90度ほど傾いて海水が入ってくるやいなや「救命胴衣を着て海に飛び込むか、上階に上がって来い」という放送を行った。しかし、女性と高齢者はすでに船が傾いて脱出が不可能な状況になってしまったという話だ。
一部では、旅客船の発電機が止まって鉄でできたドアが開かず、エレベーターも止まって行方不明者が増えたという意見も提起されている。
乗客キム・ソンムクさんも、「船の2階にいた人々はロープで救助され、ヘリコプターで運ばれたが、1階にいた人々は海水に漬かって逃げ切れなかった」とし、「最終的に船が水に漬かる瞬間まで見てきたが、30~40人の乗客が残っていた」と語った。
船長のイ某氏は事故直後、旅客船から一番最初に脱出したという主張もある。
木浦韓国病院に入院した乗客のキム某氏は、「一番最初に警備艇に飛び降りて乗ったが、その時飛び降りた人がいた」とし、「艇救助隊員に聞くと、船長が私より先に警備艇に乗り込んでいたと言う」と主張した。乗客のカン某氏も、「船を脱出して救命ボートに乗ってみると、船長と機関士が乗っていた」と語った。
劇的に救助された安山のタンウォン高校2年生たちの緊迫した瞬間に対する陳述も続いた。キム・テソン君は、「手すりから海面の奇岩を見物しているとドンという音とともに船が傾き、船の前にあったコンテナボックスが一斉にすべった」とし。「船のドアの横にあった自動販売機が2台倒れて、女子学生二人が下敷きになったが救助されたのか分からない」と語った。
3階のロビーにいたキム・スビンとキム・ミンギョンさんは、「3階のロビーにいた人々は救命胴衣を着用できなかった(救命胴衣は寝室にあった)。なかった」とし、「最初から絶対に動くなと言っていた乗務員が、突然海に飛び降りろと言った」と語った。
キムさんは、「救命胴衣なしで海に飛び込んだ友人も相当に多かった」と付け加えた。