A. | 体操を始めたばかりの小学2年生、ヨ・ソジョンの日記です。 娘の夢は父の望みでもありました。 2010年、KBSの番組に家族と一緒に出演した父親のヨ・ホンチョルは「娘が2020東京五輪でメダリストになるのが夢」と話しました。 器械体操跳馬に出場したヨ・ソジョンは予選4位で8人が競う決選に進みました。ここまでが韓国女子器械体操では初めての記録です。そして、8月1日の決戦試合で難易度6.20の技を見事に成功させましたが、難易度5.40の2回目の技術で着地ミスをしてしまいました。予選の時は完璧に成功した技術だったので放送を見ていた韓国のファンに残念な気持ちを抱かせました。 *1996年アトランタ五輪銀メダリストの父親、ヨ・ホンチョルも2回目で似たようなミスをしました。韓国五輪史上、初の親子メダリストは失敗も一緒にしたわけです。 2回目で成功したらメダルの色が変わっていたでしょう。 残念なことでですが、それでも韓国女子体操選手としては初めてオリンピックでメダルを取った誇りがもっと大きく残ります。 ヨ・ソジョンの家系は体操家族です。 父のヨ・ホンチョルは韓国の器械体操の看板スターで、母のキム・チェウンも1994広島アジア大会銅メダリストです。「子どもの時から韓国代表チームのコーチである母親の手を握って泰陵(テルン)選手村に行って選手たちのトレーニングを見ながら体操選手の夢を育てました。 9歳で体操を始めましたが、体操を始めてから約3か月になる頃に出演したKBSの舞台で驚くべき実力を見せ「体操の神童」と呼ばれました。 12歳**から全国体育大会を総なめして頭角を現し始めました。遺伝子の威力が大きいようです。 11歳の時、父とともにMBCのトーク番組『世界を変えるクイズ~セバキ~<セレクト>』に出演し体操選手生活が苦しくてやめたいが、両親が悲しむのではないかと思って話せないという心情を明かしました。「体操をやめてもいいか?」という質問に父は「大丈夫だ」と慰めてくれました。 ヨ・ソジョンは東京五輪に先立って初出場した2018ジャカルタアジア大会で跳馬部門の金メダリストになりましたが、KBS解説委員として娘の競技の様子を生中継しながら見守っていた父は感激のあまり涙を流しました。 体操家族の長女である2歳年上の姉は中学校の時に初めて運動をしたいという意思を明らかにしてから、フェンシングをする途中、カーリングに興味を持ったと言います。カーリング部がある学校に進学しようとしましたが、ちょうどその学校がカーリング部を解散したため運動とかけ離れてしまったそうです。 ヨ・サジョンは152センチの短身です。一般人の基準ではかなり小さい方です。しかし、体操選手たちは皆同じです。父親のヨ・ホンチョルも164センチと小さいのは同じです。体操選手たちはとても幼い時、ちょうど背が高くなり始めた頃体操を始めますが、空中を回って着地するトレーニングを繰り返したため成長板に無理な力が加えられると言います。 身長まで人生の武器になった現代社会で大きな代価を払って生きてきたわけです。 |