A. | お金に余裕のある人だけが楽しめる貴族スポーツ。 乗馬、フェンシング、スキー、水上スキー、ヨット…。 並べてみると、かなり多いです。 一時、韓国で「貴族スポーツ」と呼ばれたゴルフは今では完全に大衆化しています。一方、1988年のソウルオリンピックをきっかけに一時、生活スポーツとしてブームが起きたテニスは貴族スポーツとしての地位がさらに強固になったようです。 * 1924年のパリ五輪から退出されたテニスが再び正式種目に採択されプロ選手の参加も可能になりました。 かつてアパート団地ごとに建てられていたテニスコートは厄介者扱いされる羽目になりました。テニスコートを維持しようとする同好会関係者と「うるさくてたまらない」という住民の間の争いで法廷の攻防まで続いた例もあります。
ソウル郊外の一山(イルサン)新都市にあったテニスコートは退屈な法廷攻防の末、撤去されてしまいました。 テニスがしたくても、壁に向かって打つしかないというような状況が、韓国でテニスをさらに貴族化させるわけです。 今日のテーマは韓国テニスの現実について、ため息をつくものではなかったですね。 早速ですが、テニスボールが最初から黄色の蛍光色に染まっていったわけではありません。 テニスが初めてできた時は、ボールの色なんか問題なかったでしょう。 ラケットもなかった頃、氷の上や芝生で手のひらで打ち合っていたからです。 当時は、ボールも紐で結んだ動物の腸を羊毛で包んで作りました。羊毛で覆われているため白が主従なのは当然でしょう。
素材が合成ゴムに変わった後もしばらくは白が主従でした。
ハードコート、クレーコート、芝コート、どのコートであれボールを打っているとボールは汚くなるものです。白は跡形もなく黄色に変わります。 カラーテレビの登場は、このような黄色いボールが視聴者に伝わるという問題を引き起こしました。いや、正確に言うとボールがよく見えないというのがもっと大きな問題でした。 技術が進歩し白黒テレビからカラーテレビに変わったのに、ボールが見えないですって? 莫大な賞金を掲げた主催側としては全く嬉しくない状況でした。ボールが見えないのにテレビ中継にスポンサーが集まる理由もないでしょう。 見つけた妙案がボールの色を変えようということでした。それで変えました。白い球は1986年のウィンブルドン大会を最後に消え、その場を現在の蛍光色(オプティックイエロー)のテニスボールが占めるようになります。 テレビの中でもきらきら輝きながら飛び回るのが宇宙をさまよう原子のようでもあり、色を変えようというアイデアを出した人が誰なのかかなり満足したでしょう。 メジャー大会は、試合が開かれるかなり前にチケットが売り切れになり、テレビの中継料も非常に高いので色も変えることになったのです。欧州で貴族スポーツとして扱われていることもボールの色を変えるのに一役買ったと思います。 ところで、似た種目のTable Tennisの卓球は、なぜ白にこだわるのでしょうか? もしかして、貴族スポーツじゃないからでしょうか? |