解説 | ハングル: Latte is Horse ハングル発音:ラッテイズホース 意味:自分の経験を知らせたり、自分の社会的地位を浮き彫りにする時、身分の低い人に上司として命令を下したい時に使う言葉。 解説 ラテはね~。「私の時はね~」(ナッテヌンマリヤ)を変形した言葉。自分の経験を知らせたり、自分の社会的地位を浮き彫りにする時、身分の低い人に上司として命令を下したい時に使う言葉。 古い慣習から抜け出せない年取った人を指す言葉があります。 コンデ(頭の固い年寄り)。 経験不足の人に自分の経験を伝授するのはいいが、より良い方法があるにもかかわらず、絶対に自分に従うことを強要する。 「俺の時はね~~」 数十回も繰り返された昔の話を持ち出したりもする。 聞きたくないと背を向けると、最近の若い者は行儀が悪いと怒る。 身についた儒教文化のせいだろうか? 違う。どの時代、どの社会、どの文明も年配の人たちは昔の良い思い出に偏りがちだ。 出土した紀元前1700年頃のシュメール粘土版にも「俺の時はね~」が登場する。 「どこへ行って来たのか?」 「どこにも行っていません」 「一体どうして、学校に行かずぶらぶらしているんだ? 早く大人になれ」 「どうして、そんなに行儀が悪いのか?あなたの先生に尊敬の意を示し、いつも挨拶しなさい」 「授業が終わったら家に来ないで外をうろつくのか?授業が終わったら家に来なさい」 「私が他の子供のように焚き物を切らせたのか?」 「私が他の子供のように田畑を耕しして私の面倒を見ろと言ったか?」 「一体なぜ勉強をしないのか?」 「子供が父の職業を受け継ぐのは、神が人間から授かった運命だ」 「学問を熱心に学んでこそ書記官の職業を受け継ぐことができる」 「全ての技芸のうち最高の技芸は文を知ることである」 「学問を知ってこそ知識を身に着け、知識を伝えられるのだ」 「お前の兄を見習って、お前の弟を見習え」 中世時代の大学生を見て「最近の若者は答えがない」と嘆く記録もある。 彼らは聖堂に行ってミサをする代わりに、友達と村を歩き回ったり家に閉じこもってぶらぶらしながら、せいぜいペンを持つというのがラブレターなどに綴られている。 ペンの代わりに携帯に変えておくと、ちょうど最近の若者について言っているようではないか? |