Q.韓国の名字の中でナムグン氏のような珍しい名字は沢山ありますか?

답변게시판
A. 韓国は名字が日本よりもはるかに少ないので、通常は年齢が三十歳頃になると、ほとんどの名字に一度は遭遇しています。もちろん、部屋の中にこもって、なかなか外に出てこない人は自分の家族しか知らないでしょうが。

ところが、最近めっきり珍しい名字が増えてきました。国籍を韓国に変えた帰化人が心の向くままに名字を作るため「こんな名字もあったっけ」と首をかしげることが多くなったのです。

質問に出てきたナムグン(南宮)氏は、数は少ないですが、人口数では100位以内に入る堂々とした名字です。ナムグン氏を含めてチェガル(諸葛)氏、サゴン(司空)氏、トッコ(獨孤)氏など、2文字の複姓はほとんどが中国に由来する、簡単に言えば、中国人を祖先に持っている名字です。

ナムグン氏は周の文王のときに古朝鮮に渡ってきて住み始めた南宮子の子孫です。以後、高麗時代に南宮元淸が女真族を追い出した功労で咸悅(ハムヨル)地域を治めることとなり、咸悅ナムグン氏は南宮元淸を始祖としています。チェガル氏は三国志の主役である諸葛孔明の父親、諸葛珪が始祖で、サゴン氏は新羅に帰化した司空図からきています。

サゴンは、秦のときカヘン(嘉行)という人が司空という官職をしていたのですが、王様から官職名を名字にするように言われます。トッコ(獨孤)氏に関しては詳しい資料はありませんが、先祖はやはり中国に由来すると知られています。

またファンボ(皇甫)、ソムン(西門)氏も中国人の先祖から来ています。これとは異なり、ソンウ(鮮于)氏の根は韓民族です。箕子朝鮮王の次男が于山国に即位し、朝鮮の鮮と于山国の于を合わせて名字が決まったわけです。しかし、高句麗に国を奪われた後、これを裏付ける文献がなく、高麗の文宗のときに官職を務めた方を1代目の祖先としています。

古代に天桃を盗んで食べて長生きしたという「三千甲子 東方朔」を連想させるトンバン(東方)氏も70世帯が生きています。北朝鮮地域にはトンバン氏が多いのですが、資料はなかなか見つかりません。

このほか、子孫が100人にもならないチャンゴク(長谷)、オグム(魚金)、カンジョン(岡田)氏もおり、2000年の調査当時にはたった1世帯しか記載されていませんが、マンジョル(網切)氏もいます。マンジョル氏は1971年に韓国に帰化したマンジョル・イルラン(網切一郞、あみきり いちろう)さんのことでしょう。他の名字の由来は正直言ってよくわかりません。

マンジョル・イルランさんは、1942年に韓国で生まれて近所のヤン(梁)さんに育てられ、ヤン・イルランとして暮らしていたのですが、開祖したおかげなのかキノコ栽培で成功を収めました。

マンジョル(網切)氏は1世帯とはいえ、それでも1家族が10人にもなります。その他には、ウル(苑)、ジュプ(汁)、チュン(增)、サム(杉)、ピン(氷)、ウ(宇)、キョン(京)、ソ(小、肖)、イェ(乂)氏などがいますが、2000年の調査当時には、1人だけがリストにあがっている人もいました。このうちジュプさんは日本人の父と韓国人の母の間に生まれたジュプ・カンブさんが10歳の時に母に沿って韓国に帰化しながらジュプ氏の始祖となりました。

この方まで合わせて、2003年に統計庁が発表した韓国の名字は286個です。(先祖が住んでいた故郷の本貫まで分類すれば、4179個に増えます)帰化人が一部含まれていますが、1985年を基準時点としたようです。その後に帰化した名字は別途分類をしてあります。

2003年を基準にして、帰化人の名字はなんと442個です。韓国系よりも数では1.5倍になります。国籍別に見ると、フィリピン145個を含めて東南アジア系が最も多く、日系139個、中国系83個の順となります。 2000年以来、多文化家庭が増えて帰化した外国人の創姓、創本が多くなる傾向にあります。

韓国は日本とは異なり、結婚をしても、妻が夫の名字を使わず、本来の名字をそのまま使うので韓国に嫁に来た外国の女性が名字を新たに作成する場合もたまにあるそうです。

先に紹介した複姓(2文字以上の名字)だけでなく、多くの名字が中国に基づいいると、複数の家門が主張しています。高麗時代以来、識者層に蔓延した慕華思想の餘波でしょう。

韓国で最も古い日系名字は壬辰倭亂(文禄・慶長の役)の時に加藤清正の配下として参戦したが、朝鮮に帰順したサヤカ(沙也可)です。戦争が終わった後、宣祖王が直接呼びつけ、金忠善という名前を授けたとされています。彼は後に、金海キム(金)氏(友鹿キム氏とも呼ばれる)の1世祖になりましたが、子孫の中には高い官職を務めた人が多くいます。

このほか、政治的な試練を避けて高麗に逃げてきたベトナム王子を祖先とする花山イ(李)氏、元から来た高麗忠烈王の王妃について、朝鮮半島に来たアラブ出身者を始祖とする德水チャン(張)氏などが異例の例に属しています。

子孫の数が少なければ威勢も自然に弱まり、社会の中で密かに仲間外れにされたりしそうですが、ひたすら悪いことばかりではありません。子孫を合わせて100人ぐらいなら、門中が一緒に会って楽しいひとときを過ごすことができ、結婚や葬儀などは門中行事として行われます。

おまけに時折企業が行うイベントで得をすることもあります。数年前にロッテがロッテDCカードの発売を記念して、すべての名字から一人ずつロッテワールドに招待しましたが、キム氏は抽選に当たる確率が低い一方で、帰化名字は1対1の競争率を無難に突破し、当選の喜びを味わいました。

20年以上続く「名探偵コナン」に出てくる目暮十三(めぐれ じゅうぞう)班長は、韓国語吹き替え版でコルロムボ(コル・ハンソク)班長として出てきます。これに対して、「韓国にコル氏はいるのか、いないのか」という議論が起きていました。正解は「現在はいない」です。しかし、最初からなかったわけではありません。朝鮮中期には本貫が江華の骨仁瑞という方が過去に試験に受かったという記録もあります。この他にも朝鮮半島では子孫を残せずに消えた名字が多くあります。

百済の大姓八族の一つだった、モク(木)、ヒョプ(脅)、ヘ(解)氏もなくなりましたし、高句麗の貴族だったラク(絡)氏、渤海に多く住んでいたア(烏)、リョル(烈)氏も、今では姿を消しました。子孫を作れずに、代が途切れたというよりは、厳しい世の中で、少しでも楽に生きようと性を変えた場合も多いはずです。醴泉クォン(權)氏の元の姓は、今では姿を消したフン(昕)氏でした。
  • Lim, Chul
  • 入力 2015-03-20 09:00:00

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