A. | 1970年9月生だから、今年でもう46歳。しかしなぜ、どうして結婚をしないのか分かりません。独身で老い、死ぬ心算なのか、彼女を惜しむファンとしてはため息が出るゴールドミス俳優です。
最も好きな女優部門では、2013年から4年間1位を逃したことがないため、チャルバンが怖くても結婚とは何の関係もないでしょう。筆者が思うに、キム・ヘスがあまりにも成功しているからでしょう。彼女を満たしてくれるほどの男性に会えないからではないでしょうか。かつてユ・ヘジンと交際しているという事実が明らかになり衝撃を与えましたが、結局は決別してしまいました。 キム・ヘスの演技人生は16歳から始まりました。チョコレート飲料の広告に出てくるテコンドーシーンに似合う女性を探していたCF監督に抜擢されたのがきっかけでした。広告を見た映画監督が、彼女をキャスティングし、映画『カムボ』で夜の舞台歌手役を務めました。年齢16歳でティーン配役ではない成人の演技者としてデビューしたのです。映画俳優としてデビューするやいなや、韓国歌謡史上初のミュージックビデオ(チョ・ヨンピルの『虚空』)も撮影しました。この時代には歌手として活動したりもしました。映画『大人たちは知りません』(1988)のOST『美しい世界』をキム・ヘスが直接歌いました。 キム・ヘスが本当にテコンドーを学んでいたのかというと、公認3段です。小学校時代には死後の世界と宇宙飛行士に対する関心が大きかったそうですが、定員20人余りのテコンドー子ども示範団の唯一の女の子でもありました。おかげでアントニオ・サマランチIOC委員長が訪韓した際、花童の役割もしました。 とにかくドラマと映画の監督たちが、キム・ヘスをキャスティングするために焦れました。高校を卒業する前に4本の映画と4本のドラマで主演を務めるほどでした。当代のベテラン俳優だったイ・ヘスクと劇中に姉妹として演技タイマンをはったKBSドラマ『セノヤ』では出演者も感動させました。 ドラマ制作を引き受けたウン・グンイル監督の懐古を紹介します。 *** 忠清南道・青陽(チョンヤン)の山奥が故郷であるスムシムがソウルに行こうとし、父親(キム・インムン扮)に容赦なく殴られるシーンを撮影する日だった。キム・ヘスは慎重に口を開いた。 「監督、私が父に本当に殴られてこそ感情も生きてこのシーンが成功すると思います」 父親(キム・インムン)も同じ意見だった。 このシーンを撮影する途中、息が止まりそうになった。父親に殴られるスムシムが大怪我をするような恐怖を感じて、急いでカットを叫んだ。シーンのリアリティは断然最高だった。 *** これが高校3年生の時のことです。映画『タチャ-イカサマ師』で見せてくれたファムファタールのキャラクターからいけずうずうしく壊れるギャグキャラクターまで、すべてを消化する生まれながらの女優の姿がこの時からすでに現れていたというわけですね。 演技力の幅があまりにも広いため、男性俳優たちを緊張させたりもします。映画『観相師』(2013)に出演した当時、キム・ヘスが冗談紛れに「私が男装をして首陽大君をしてみようか」という言葉を投げかけたのですが、この役に執着していたイ・ジョンジェが気をもんだという逸話が伝わっています。
キム・ヘスには、このようなイメージが負担だったようです。1991年にMBCドラマ『ひとつ屋根の三家族 』で若いミッシーの役割を引き受けたのですが、やっとファンたちはキム・ヘスがグラマーだという事実を実感するようになりました。 グラマーキム・ヘスは、レッドカーペットで真価を発揮します。キム・ヘスが青龍映画祭の授賞式のMCで破格的なドレスを披露しながら、韓国でも女優たちのドレス競争が繰り広げられるようになりました。 最近になってようやく、オ・インヘのようなキム・ヘスよりもはるかに露出度の高いドレスを着て出てくる女優も多くなりましたが、キム・ヘスは扇情性論議を呼ぶほど破格的なドレスを披露し、年末の授賞式はキム・ヘスのドレスを見るために行くという人が多いほどでした。話が出たついでに1つ加える事実は、青龍映画祭の授賞式のMCを1993年から22年間務めています。これを意識してか、その年のノミネートされた映画を入念にすべて見て、ドレスも3~4カ月前から細心に準備するといいます。そうして出てきたドレスの1つが下の写真です。
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