Q.SM、YG、JYPなどの大型芸能企画社の練習生たちの日課を教えてください。(3)

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A. ※この記事は「SM、YG、JYPなどの大型芸能企画社の練習生たちの日課を教えてください。(2)」の続きです。

かつてK-POPスターたちの奴隷契約が問題になったことがありました。不公正な収益分配に13年の長期契約、そして所属事務所に閉じ込められて私生活を放棄する事例が並び、メディアに報道されたりもしました。

公正取引委員会が標準約款を設け、企画会社に対する調査に入った後、事情が少しマシにはなりました。契約期間も7年に減り、芸能人の意思に反して強制的に出演させることができないようにする条項もできました。しかし、いくら不公正な奴隷契約であっても、デビューだけできれば甘受するという練習生はいくらでもいます。

デビューをして舞台を踏みたい夢と一緒に、疲れ切った練習生から抜け出したいからでしょう。企画会社で過ごす練習生の日課は本当につらいことこの上ありません。以下はあるメディアが紹介した練習生の日課です。

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私はスーパースターKのスーパーウィーク進出後、有名な歌手が所属している会社で練習生生活を始めた。最初は嬉しかったが、程なくして毎日泣いていた記憶から思い出される。苦痛なトレーニングに耐えることができたのは舞台に立ちたいという夢1つからだった。学校まで休学して全力投球した会社で、私は必ずデビューできると思っていた。

その時、私は会社員のように朝9時までに練習室に出勤し、事務室の掃除をした。鏡を磨いて加湿器を洗浄し、トイレ掃除まで。その後、10時までに車で移動してジムでPTを受けた。ヘルス、ピラティス、ヨガまで、休む暇がなく昼食の時間が終われば、再び車に乗って振り付け練習室に移動した。2時間の振り付け練習が終われば、車に乗ってアカデミーに移動して発声、歌の練習をした。すべての日程が終了したら、夜7~8時頃だった。その間の食事はすべて野菜と鶏の胸肉だけだった。

最も記憶に残っていることは、ダンスのラインをきれいにするためにしていた股裂きだった。練習生たちの間では、悪名高いコースだ。知り合いの姉さんの中には無理に股を引き裂き、太ももの血管が破裂し、緊急治療室に運ばれたりもした。
「私はR&Bボーカルなのに、なぜ股を裂かなきゃいけないの?」
疑問が浮かんだが、仕方なく股裂きの練習をしなければならず、あざのできた足がしばらくの間、閉じられずにアヒルのように歩き回った。

最初はこのようなストレスや筋肉痛のために、あまりにも苦痛だったが、後には精神的により大変だった。会社には、恋愛、飲酒、喫煙などの通常的な禁止事項があったが、この他にも些細な難癖を付けられないだろうかと、すべてが慎重だった。両親と通話をしても周りの視線が気になり、会社の前のコンビニにちょっと行ってくる時も不真面目な態度だと烙印を押されるのではと怖かった。

会社の外の生活を、誇張を少し加えれば、24時間統制された。休日に外出する場合、写真を撮って報告しなければならなかった。クラブはもちろん、人の多い所は禁止だった。練習生たちは誰彼なく孤独な境遇だった。表では「私たちは家族のような1つの家族だ」というが、水面下での競争は殺伐としていた。先にデビューしたい気持ちに誰彼問わずあらを探して目をつけられるようにしようとするケースもあった。

毎日練習が終われば、ぶ厚いノートに練習日誌を書かなければならなかった。練習しながら感じた点と出勤以降のスケジュールを時間帯別に詳細に書き出した。毎日同じ練習生活なのに、毎日違う内容の日誌を書かなければならないため、日記作成さえすごくストレスだった。

月末評価の前夜は眠れもしなかった。ストレスで肌がめちゃくちゃになるのは日常茶飯事だった。体重を48キロ以下に合わせなければならなかったが、不安感を取り除こうと内緒で食べると太った。苦労をしてもデビューを簡単にできるだろうと期待していたが、違っていた。会社の路線は変わり続けた。最初はDavichiのようなグループをしてみようと言っていたのに、次はMAMAMOO、それをひっくり返してはアコースティック・サウンドに変わった。一緒に練習するメンバーも変わり続け、ボーカルスタイルも変えなければならなかった。私もボーカルトーンを完全に変えなければならなかった。出せない音を無理に出すため喉も痛め、歌だけはずっと1位だった私はトレーナーに毎日「歌が下手だ」と叱られなければならなかった。

会社は、デビューが確実になったボーイズグループのメンバーだけを残し、残りの練習生はすべて放出した。私も出ざえるを得なかった。会社は「君たちは実力が不足しているから自分で道を探していくことを願う」と話した。
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練習生からクビになればただ単に終わりです。上記のケースのように、会社からすべての練習生を放出した場合には、他の所属事務所から契約しようという提案が来ますが、ストレスに勝てず自発的に飛び出したり、評価の成績が良くなくて放出されたケースでは、他の会社に入ることも容易ではありません。

練習生時代は、文字通りストレスの塊です。少年少女たちが一緒に踊って歌った同僚たちが放出されるのを見て生きていくのでしょう。デビューさせるか放出させるか、このような決定を下す権限を持った人々の顔色を自然に見るようになります。生まれつきだと崇められてきた英才たちも、このようなストレスを避けることができません。

歌手May Doniは子どもの頃から才能にあふれ、各種イベントに出れば優勝を繰り返しました。しかし、小学校時代の彼女の夢は歌手ではなく、韓国舞踊の教授でした。

2001年、彼女の年齢が10歳の時、一緒に韓国舞踊をしていた友人とSBS『パク・ジニョンの英才育成プロジェクト』に出て、「10歳とは信じられない才能を持っている」という絶賛を受け、JYPの練習生として入りました。ピ(Rain)、SE7EN、Wonder Girls、2PMと一緒に4年間練習生生活をしましたが、いくら待っても自分の順番は来ず、歌の指導を新たに引き受けたチーム長に、「あなたはドレミファソラシドから学び直せ」という言葉を聞いたりもしました。

他の練習生は、グループを作って練習し、誰かは中国に進出させるといって中国語を教えるという言葉を聞いたのに、自分に帰ってきた言葉は、「ドレミ~」だなんて呆れてしまいます。JYPでデビューする確信がなくなって叱責だけされると、YGに所属会社を移しましたが、その場所でもデビューはなかなか訪れませんでした。

精神が荒廃していきました。昨日まで一緒に遊んでいた練習生の友人がクビになったと出てこない出来事を目撃しながら、日増しに怖くなりました。何とかして会社によく見せなきゃという考えだけでした。8年も歌と踊りを練習しましたが、戻ってくる言葉が「8年も練習したのなら、もと上手くなくちゃいけないんじゃないの?」だなんて。パニック障害が訪れました。突然手が麻痺して、めまいや吐き気を催し始めました。

パニック障害まで経験したMay Doniは、ネガネットワークに移り、2009年にいよいよデビューをしたのです。8年ぶりに練習生生活を清算したのです。あまりにも早くに練習生生活を始めたため、デビューした時の年齢も18歳にしかならなかったため、それでもまだ運があったわけです。

しかし、デビューしたからと練習生生活が完全に清算されるわけではありません。デビューがうまくいかなければ、再び練習生に戻らなければなりません。閉じた地獄の門が再び開くなんて、そんな恐ろしい話は次回に紹介しますね。

※この記事は「SM、YG、JYPなどの大型芸能企画社の練習生たちの日課を教えてください。(4)」に続きます。
  • Lim, Chul
  • 入力 2016-11-04 00:00:00

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