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子役を担うには少し年を重ねたようにも思いますが、作品を演出したユン・サンホ監督は彼を見るやいなや指名をしたようです。「君は、ギョムだ」と言ったほどですからね。イ・ギョムの子どもの頃を手に入れたヤン・セジョンは2次オーディションで文学者ハン・サンヒョン役に挑戦します。2次オーディションの結果が芳しくなかったのですが、監督は彼に再挑戦する機会を与え、ハン・サンヒョン役まで取りました。 過去と現代を行き来するこのドラマで2つの時代を経た数少ない俳優の中で、新人ヤン・セジョンが堂々と名前をあげました。 2015年からドラマの撮影が始まりましたが、ドラマの放映が2016年8月から2017年1月に延期され、デビュー作は2016年11月から電波に乗り始めたSBSドラマ『浪漫ドクターキム・サブ』になりました(※『浪漫ドクターキム・サブ』でヤン・セジョンが引き受けた役割は病院長の息子ト・インボム)。礼儀がなく時には傲慢に振舞いますが、生命を軽視しない医師です。 ※ドラマデビュー前に短編映画『私たちが知らない真実』、『心の声』に出演して、演劇『アリス、学校に行かなきゃ』で舞台に上がったことがある。 この作品ではハン・ソッキュ、ユ・ヨンソク、ソ・ヒョンジンら大先輩の前でもひるまずに自身の引き受けた役を忠実に演じ、はっきりと視聴者の印象に残りました。 ヤン・セジョンは外科医というキャラクターに溶け込むために、緊急治療室に常駐し、病院の雰囲気を把握しようと努め、頻繁に通うジムで出会った医師を見ながらも、自分と彼を代入させて見たりもしたといいます。 キャラクターに溶け込もうとする努力は、先立って撮影した『師任堂、色の日記』でも同じように行いました。韓国民俗博物館に常駐して、論語を覚えたといいます。ヤン・セジョンの特別な面を見ることができる部分です。 周りの人たちも彼をあくどい人と呼びます。いつ死ぬかわからないから、一日に最善を尽くす気持ちで生きているためこのようなニックネームを得たといいます。 「いつ死ぬか分からないから、今日一日最善を尽くして生きよう」。誰でも抱ける考えですが、20代のピチピチの青春の若者がこのような生活を続けるのは容易ではないことでしょう。 ヤン・セジョンは中学生の頃、漫画喫茶でアルバイトをしながら漫画喫茶にある小説、漫画、映画を全部見て「人がいつ死ぬかわからないんだ?!」という気づき(?)を得たといいます。 漫画と映画を渉猟しましたが、演技とは距離がありました。テコンドー示範団の一員として、サムスン財団から奨学金を受けるほどだったので、テコンドー代表になってオリンピックに出場する夢を見た可能性もあります。しかし、高校2年生の時、担任の先生と一緒に団体で演劇を鑑賞しながら、彼の人生は俳優に向かうようになります。舞台に上がった俳優たちの演技に笑って泣く自分自身を見て、俳優になりたいという思いがふとしたといいますね。 その時から演技の勉強を始めて、浪人までして韓国芸術総合学校演技科に入りました。 新人俳優がドラマ2本で連続して比重ある役を引き受けたため、自然と「何、金のスプーンか?」、「何かバックがついているのか?」などのゴシップや噂が飛び交りましたが、新人らしくない演技力で悪意がこもった噂を鎮めました。
オーディションを見た監督は、ソンジュンとソンフンを分離して演技するヤン・セジョンを見て、その場で彼を指名したという裏話です。『デュエル』は2%にも達しない低調な視聴率で幕を下ろしましたが、ヤン・セジョンは狂った演技でファンたちを引き込みました。『デュエル』が終わってまもなく、SBSドラマ『愛の温度』にすぐに主演として抜擢されたため、彼の人気を実感させます。 ヤン・セジョンはドラマ『愛の温度』で呼吸を合わせた俳優ソ・ヒョンジンと一緒に、韓国企業評判研究所で実施したドラマ俳優ブランド評価で並んで1、2位を占めました。1位はソ・ヒョンジン、2位はヤン・セジョン。新人俳優が一気に頂上まで駆け上がったわけでしょう。 ヤン・セジョンは不義を見ると我慢できない面も持っています。高校に通う時、いじめにあう友達を助けてあげたことがあり、地下鉄の線路に落ちたおばさんを救ったこともあるそうです。 趣味は「イヤホンをはめて目的地なしに歩くこと」。そしてワインが好きだといいます。 20歳の時、初恋の相手に出会ったそうですが、年下よりは年上の女性に惹かれ、12歳年上まで可能だというので、お姉さんファンをときめかせるかせそうですね。 |