記事一覧

ニュース

数字経済

テクノロジー

コラム

ビューティー

カルチャー

エンタメ

旅行

韓国Q&A

新造語辞典

もっと! コリア (Motto! KOREA)
コラム > オピニオン

[I ♥ 建築] 路地 vs テラス

    少し前に放映された『応答せよ1988』を見ると、路地が地域共同体で居間のような機能をする空間として描かれた。路地内の木製の寝台でおばさんたちがおしゃべりをし、子どもたちが遊び回り、成長してからは路地で初キスをした。1980年代まで路地は共同体の中心空間だった。私たちは、その時代を懐かしく思い、郷愁を感じる。しかし、残念ながら再びそのような時代が来るのは難しいようだ。理由は、アパートのせいではなく人が変わっているからだ。

    イアン・モリスは、『価値観の誕生』という本でエネルギーを取る経済システムが価値観を形成すると言う。例えば、狩猟採集人らは部族が一緒に狩りをして分けなければならないため、平等な社会を作り、農耕社会では財産の蓄積が可能となったため、階級社会が作られたというふうにだ。農耕社会は集団で労働しなければならない。田植えや脱穀を共にする。その頃には、冷蔵庫もなく食べ残るものは分けて食べなければならない。そうしてこそ自身が不足している時に隣人から食べ物を分けてもらえる可能性もあるためだ。このような経済システムと技術レベルによって、農耕時代の私たちは隣人と共同体を形成せざるを得なかった。

    韓国は、1980年代半ばまでは農耕社会の影響力下にあった。筆者は、祖母と一緒に住んでいたが、祖母は生涯農業をしていた方だ。そうであるためソウルに来ても近所の人と親密に過ごされた。しかし、現代はイアン・モリスの分類上、化石燃料の時代だ。近所の人と私は別の仕事を持っている。冷蔵庫があり、残った食べ物は保管して食べてもいい。近所の人があえて必要ではない。そのため、朝にアパートの門の新聞を取りに行く時に前に住んでいる人を会うかと思い心配する。エレベーターで他の階の人に会うことも負担になる。同じ人だが、時代が変わりながら、より個人主義的になった。そのため、路地がある住宅街に行って住んでも、以前の農耕時代のような地域共同体は作られることはないようだ。現代人には、自身の身分が露になる路地よりは、匿名性が保障されているショッピングモールや公園のような大規模な公共空間が楽だ。現在、私たちには路地よりも庭、バルコニー、テラスのようなプライベートな外部空間が必要なのかもしれない。
  • 毎日経済 ユ・ヒョンジュン弘益大学建築学科教授 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-11-11 17:07:01