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[I ♥ 建築] 入って来い

    先日、筆者は官公署と契約を進めている際に気持ちの良い経験をした。契約書に「甲」の代わりに「発注者」と、「乙」の代わりに「契約相手者」と表記されていたためだ。大きな違いはないが、従来の「甲」「乙」の表現から感じられた垂直的関係ではなく、水平的な関係の感じがしたためだ。

    業務上で使う言葉の中には、これと似た気分の悪い表現が多い。最近では、「協力業者」という言葉の代わりに「協力会社」という言葉を使うという。「業体」あるいは「業者」という言葉は、なぜか詐欺師のように聞こえたり、粗末にあしらう感じがして変わったというのだ。筆者は建築家だからなのか、「入って来い」という表現が最も気に障る。ファン・ジョンミン氏が映画の中で「トゥルワ(入って来い / 全羅道の方言)」と言って大流行したりもした。私たちは下請け協力会社の関係者と協議のために集まろうと言うと、「入って来なさい」という表現を使う。なぜその言葉を聞いた時に気分が悪いのだろうか?

    聞く人の立場から「来なさい」という言葉はあまり気分が悪くないが、「入って来なさい」という言葉は感じが違う。「来なさい」という言葉は、私がいる所に来てくれという意味で場所が重要な言葉だ。一方、「入って来なさい」は私の部屋に来てほしいということで、壁や天井で囲まれた空間に来いという意味上の違いがある。部屋や家のような室内空間は、所有者の権力が完全に掌握する領域だ。外部から監視する目も遮断されているため、訪れる人の立場からはより危険な空間だ。

    このように、人の室内空間に入るということは、その人の権力に囲まれて逃げもできない状態になるのだ。あらかじめ招待した人と招待されて入る人は、権力の非対称が生じる。入って来るように言った人は、「本人」の権力に加え、「壁と屋根で作られた空間」が与える権力が合わさったのに対し、入る人は単身で入るためだ。

    韓国のことわざに「虎を捕まえようとするなら虎の洞窟に 入らなければならない(虎穴に入らずんば虎子を得ず)」という表現がある。そのことわざを「虎を捕まえようとするなら森に行かなければならない」という言葉に変えればニュアンスが異なる。「洞窟」は「入らなければならず」、逃げるところも入り口1つだけの室内空間であるため、より恐ろしく感じられる。空間は私たちに無言の影響力を行使する。その経験が言語に反映され、感じの違いが作られるのだろう。
  • 毎日経済 ユ・ヒョンジュン弘益大学建築学科教授 | (C) mk.co.kr | 入力 2017-02-27 06:07:36