A. | 今はJYP、自分の名前にちなんだ3大韓国芸能所属事務所のトップになりましたが、パク・ジニョンもデビューするまでかなり苦労しました。 韓国の名門私立大学、延世(ヨンセ)大学在学時代。勉強は後回しにして歌手になるために芸能所属事務所を転々としました。しかし、いつも追い出されてしまいました。独特な体型*と顔のせいでした。 ずっと合格できない姿を見守っていたClonのク・ジュンヨプ(具俊燁)がSMのイ・スマンを紹介してくれました。イ・スマンもハンサムな顔ではないですが、パク・ジニョンを受け入れませんでした。しかし彼の作曲と歌の実力は認めたのか、「曲だけ売らないか?」こんな提案をしたと伝えられています。 嫌だと断り紆余曲折の末、作曲家のキム・ヒョンソク(金亨錫)の傘下に入ったのです。 そしてデビューします。デビュー曲はイ・スマンが売るように言った「Don't Leave Me」、元々バラードだったこの歌はダンス曲に変わりました。(幼いころからダンスには並々ならぬ才能を見せたので、パク・ジニョンが拒むはずがありません) 「Don't Leave Me」はCMソングに採択され、瞬く間に韓国全域で歌われるようになりました。 この曲を使ったオリオン製菓のセンスミントガムのCMにはチョン・ウソンが登場しますが、一説にはハンサムなルックスや歌まで完璧なスーパースターの誕生に数多くの少女ファンが関心を持ったそうです。そして舞台に上がってきたパク・ジニョンの姿を見てがっかりしたという話も伝えられていますが、本当なのかは…。 黒人の感性を強調したパク・ジニョンのダンスと歌は、韓国歌謡界に新鮮な衝撃をもたらしました。当時踊ったヒップダンスは、韓国大衆音楽史上初めて披露された男のセクシー・コンセプトでした。 セクシー・コンセプトなので、ビニールズボンも欠かせません。 しかし、あまりにも多くの人がパク・ジニョンのマネをしてビニール服をはいているので、なくなるのは難しいでしょう。
そして2016年、新曲「STILL ALIVE」を発表し、ミュージックビデオでビニールズボン**を再び披露したことを考えると、スターにはこのような恥ずかしい記憶も必要みたいです。 一説にはスタイリストではなく修繕屋の社長が開発したと言われています。着て踊るうちに汗がたくさん溜まり、小さな穴をいくつか開けたそうです。最近は有名モデルも多く着ているというので、時代を先取りしたファッションです。 歌手として成功した彼は40歳を過ぎてから「なぜ生きるのか、神がいるのか、どのように生きるのか」を苦悩し始めました。科学書籍と宗教書籍を耽読し、2012年春から夏までの数か月間、イエスの生誕地であるイスラエルで過ごしました。すべての文明機器を捨てて世の中と断絶したまま過ごしたので、PSYの「江南(カンナム)スタイル」が世界的にヒットしたという事実も知らずに過ごしたそうです。 イスラエルから帰ってきた後、これまで悩んだ思いを『HALFTIME』というアルバムに込めましたが、このアルバムに「遊ぶだけ遊んでみた(Had enough parties)」が収録されています。 人生に対する苦悩は、ファンに彼の脳の構造を解剖する機会にもなりました。脳の構造は2015年11月、SBS『ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~』に出演した当時、本人が直接言及しました。 私たちが生きている世界とミクロの世界に通じる科学法則が違うという意見は、人生に対する苦悩をしながら読んだ科学書のお陰でしょう。 考えてみると彼は理工学科出身です。物理学とは距離が少しありますが、地質学科で学部生活を終えました。 パク・ジニョンの脳の構造を解剖して知った事実が1つあります。実際に脳血管が奇形だそうです。JTBCに出演した当時、本人が直接言及した話で、左脳に行く頸動脈がなく、右脳側の頸動脈が2倍大きく、血が右脳を通って左脳に向かうそうです。 パク・ジニョンのエピソードを紹介する文章なので、もうひとつ追加することがあります。 税金問題です。税金に徹してSMとYGが税務調査で数十億ウォンの追徴金を納めた時も、JYPは税務公務員から「尊敬している」と言われたそうです。 もう1つ付け加えるとしたら、一部のファンのなかでJPGファイルをアップロードする時に、jypに変える人がたまにいます。「Wonder Girlsソヒの真顔.jyp」という風にです。 |