トップ > コラム > オピニオン > [モノの哲学] 夏のホットパンツ、青春のファッションは何で作られるのか

[モノの哲学] 夏のホットパンツ、青春のファッションは何で作られるのか


  • [モノの哲学] 夏のホットパンツ、青春のファッションは何で作られるのか
夏は「青春の季節」だ。おそらく夏の暑さから単純な「暑さ」だけでなく、「青春の情熱」を感知するからだろう。

青春の「情熱」は挑戦、覇気、抵抗、愛のような項目と関連している。一種の「青年精神」だ。失敗を恐れない勇気、リスタートできる覇気、原則に反することに「ノー」と言うことができる非妥協性、結果を確信できない「素敵な事」に身を投じる理想主義がすべてここに属する。外部の物理的な圧力や権威に屈することなく、「自己」を立てて、前面に押し出す「主体性」の本能も生きている。

相対的に財力や権力にはるかに依存する既成世代に比べて、「青年」の世代は自分の体ひとつだけで堂々とする。自分の体だけでも、堂々としている人生の時間がまさに「青春」だ。

青春の季節である夏が、視覚的に「露出ファッション」として現れる現象は、そのような面からファッション現象以上の意味を持つ。「露出」は発散的エネルギー、積極的な主体性、自己肯定の表現でもある。肉体の露出は自分の体以外の何物にも頼らない「若い肉体」の潔さや、堂々さとも関連がある。この発散的・肯定的肉体から感知される熱的な「遊戯性」も青年の特権だ。

季節を選ばない超ミニスカートが流行になってから久しい。最初、ミニスカートがセンセーションを巻き起こした長さは膝上だったが、今のミニスカートは、もはや短くすることができないほど短くなった。それでもミニスカートの長さには限界があることは明確だ。少なくとも「下着」が外部に露出しないほどの長さが限界線だ。

しかし、今夏の女性のファッションの大勢はミニスカートではなく、ホットパンツだ。下着が見えないようにするというミニスカートの強制を夏のホットパンツは簡単に解決する。ホットパンツの長さを最初から「下着」と同一にすることもできる。大流行の夏のホットパンツは「下着」を街で開放して日常化する。

流行となったホットパンツは「秘密の領域」がほぼ完全に消えた時代を表象するファッションアイコンだ。この夏のファッションは、「露出」を純粋な青春や個人主体性の領土として見る無邪気さを嘲笑する。大衆メディアを一杯に埋め尽くしているガールグループのホットパンツのように、夏の街のホットパンツには、時代の窃視症と不況の経済学​​のような複雑な社会的無意識が交差する。3放世代、5放世代の「青春」のファッションは、着ている人も知らない間に、他のものにより奥深く侵奪されて、他のものによって、より強く「構成」される。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-08-07 16:24:59




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア