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[モノの哲学] ティーバッグ、友と茶道のないお茶のカバン


  • [モノの哲学] ティーバッグ、友と茶道のないお茶のカバン
全羅南道にある古刹、大興寺の一枝庵は秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)と一枝庵の庵主、艸衣(チョイ)禅師が友情を交わした場所として有名だ。二人が残した文には、お互いがお互いを慕う間だと記されている。この美しい精神の交流は「茶」を媒介にして行われた。後世の人々は、この小さな庵を朝鮮茶道の聖地と呼ぶ。

最近、「茶」の聖地で僧侶と一緒にお茶を小さな茶碗に複数回淹れて飲みながら、おかしなことを考えた。秋史と艸衣がもし現代都市人だったら、天の理致と人間の道理と世界の紆余曲折に関する考えをそれほど深く共有することができただろうか。

奥深い考えの交流には、そのような方法の交流を可能にする「悠長なリズム」が必要だ。お茶を繰り返し淹れて、複数回茶碗に入れて飲む「茶道」形式がそのような出会いの悠長なリズムを作ったのではないのか。

この形式が、明徵な二つの意識が対面しながらも鋭くならず、奥深い対面の時間を持続させたのではないか。果たしてテイクアウトコーヒー専門店の時代に、彼らが会って対話をしたとしたら。

「ティーバッグ」はほのかなお茶の香りを「テイクアウト」できるようにつくられた効率的なものだ。お茶の深い香りはするものの、「茶道」の複雑さは除去した。多くの茶器を必要とせず、伝統的なお茶を飲む形式が省略されており、お茶をどこへでも持ち歩くことができる。形態上、重要な特質は「こし網」という事実だ。

お茶は本来、茶の木の「葉」だ。ひかれたコーヒー豆とは異なり、茶葉は溶けない。だからこし網が必要だ。ティーバッグはお茶を飲むために必要なすべての内容を圧縮している。

ティーバッグは、紙の形態もあり、織物のような高級形態もある。滑らかな包装紙をはがすと、葉の入ったティーバッグが入っている。それを水に入れると、葉が流れ出ることなく「香り」だけをぴったり抽出する。紙でも綿でもあまり破れず、網が許容する分だけ膨らむ。茶葉と茶器を同時に盛り込んだこのモノは、世界で最も軽くて可愛らしく、(水が漏れる隙間ではなく)「葉が漏れ出る隙間のない」几帳面で効率的な「ティーバッグ」だ。このバッグは、お茶を軽く持ち歩きながら、対話の相手なく単独で楽しむことができる現代のライフスタイルに特化されている。

旅行から帰ってきて都市の一角のカフェで「ティーバッグ`を持って一人でお茶を飲んでいる。このモノのおかげで会話する友がいなくてもお茶を飲むことが自然で便利だが、それでもまた寂しくもある。
  • 毎日経済 ハン・ドンギュン 文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-08-21 16:18:52




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