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[モノの哲学] エコバック、ファッションで「エコ(eco)」になる?


  • [モノの哲学] エコバック、ファッションで「エコ(eco)」になる?
学校で講義をする個人の職業上、授業用の本を入れたり、レポート課題を簡単に入れて持ち運ぶ用途では、これだけのモノはない。本は重く角が尖っているため、紙袋やビニール袋では破れやすく、フォーマルなバッグに入れて持ち運ぶにはかさばる。このモノは布であるため軽いだけでなく、破れない。ビニール袋とは異なり、見た目も大丈夫だ。ああ、価格は重さと同じくらい、どれほど軽いだろうか。

この「軽くて優しい」バッグが韓国の女性の間で流行っているようだ。「ファッション」アイテムになったという意味だ。そういえば芸能人もこのモノをたくさん持ち歩いている。ところで、このモノの流行には「エコバック(eco bag)」という「名前」が一役買っている。化学合成素材や獣の皮・毛などを使用していないとして付けられた名前だ。実際にこの名前は、1990年代に英国のデザイナーが環境保護団体と一緒に「I`m not a plastic bag(私はビニール袋ではない)」とプリントされた布の袋を披露したことに由来したという。いわば、このモノの「流行」は「フェアトレード・コーヒー」のようなものかもしれない。おいしいコーヒーを飲んだだけでも「フェアトレード」に寄与したことになるなんて!実用的でありながら同時にファッションにもなり、さらに「エコ(eco)」にもなるなんて、どれほど便利だろうか。

ハーバード大学が興味深い研究結果を発表した。スーパーマーケットの利用者の中で、ビニール袋の使用者に比べてエコバックを愛用する消費者が有機食品を多く選ぶのと同時に、高カロリー・高脂肪の食品もはるかに多くの購入するという事実だ。「私は一般的なコーラの代わりにダイエットコーラを選んだのだから、ハンバーガーをもっと食べても大丈夫だ」。研究チームは、このように状況を要約しながら、これを「自分が道徳的に正しい行動をしたため、その補償を自ら作りだすもの」と解釈した。

SNSと関連して広く知られている研究の中に、政治・社会問題について熱心に批判するコメントを投稿する人ほど社会奉仕や寄付、社会的実践行為に直接参加する割合が大幅に低下するという結果がある。「道徳的」行為は「言葉」で行ったため「もういいだろう」という無意識だ。

「エコバック」「フェアトレード」「代案学校」など 「道徳的・政治的に正しい言葉」と結びついたモノの世界がある。しかし、そのモノの世界では、「エコ」「フェアトレード」「代案」も商品や流行になりえるという現実を見せてくれたりする。簡単な「言葉(名前)」が「消費者」に過ぎない自分を「代案的で新しい」生活に参加する道徳的主体だと錯覚させることもある。このとき、「消費者」は自分も知らないうちに、自分自身に騙される。
  • 毎日経済 ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-07-17 16:02:44




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