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[モノの哲学] 絡み合った糸、問題は「解く」ものであって壊すものではない


  • [モノの哲学] 絡み合った糸、問題は「解く」ものであって壊すものではない
毛糸がぐるぐる巻いてあるモノを「毛糸玉」という。子供の頃冷たい風が吹く頃、母親は編み物を始めた。当時は、家庭でセーターやマフラー、手袋などを編んで直接作って着ることが大きな時代の流行のようだった。

多くの場合、毛糸がもつれことがある。幼い私が毛糸玉と「直接」会う場合はそのときだ。母親が絡まった毛糸を解いてほしいと頼んでくるのだ。そんなとき、まず恐怖から感じた。「これをどうしろというのか」と心の中で不機嫌な声から飛び出してくる。困ったような表情をしている私に対して母親は言った。「糸口から探さないと」

糸口。もつれて絡まった糸の「唯一」解決策は「糸口」を見つけることだ。毛糸玉を「全体」で見るとかたまりになっていて糸は四方に広がっていき四方で混ざっている。解決策が見えない。しかし、毛糸玉には糸口がある。糸口は絡まった毛糸玉から糸をほどいていく糸の頭の部分だ。その頭の部分は毛糸玉が始まる「最初」のポイントだ。

困難な問題、ひねられた問題を「解く」ときには、糸が例えとして使われる。「解く」「糸口」がそのような比喩だ。このときの糸口は問題解決において、2つのことを思い起こせという言葉だ。まず、いくら絡まった問題でも「最初の原因」がある。解決策はそこから始めなければならない。二番目は、問題を解くときには、一度に全体を解決しようとせず、ポイントとなる原因を探すことから始めろということだ。ところが、ポイントは「部分」であって全体ではない。しかし、この部分が問題の本質を規定する。哲学者デカルトが提示した問題解決のためのルールも同じようなものだった。全体を部分へと、複雑なことを単純な要素に分割してから、簡単なことから難しいことに一歩ずつ前進しなければならない。いざ問題に直面したとき、私たちはこの非常に単純な原理をよく忘れる。

ところが、本当に重要なことはまだある。「心構え」だ。絡んだ糸は「ほどく」ものであって「切ったり」「壊す」ものではない。問題を適切に展開するには、「気苦労」を甘受する覚悟をしなければならない。気苦労は問題を解く過程の一部だ。個人や社会や私たちの問題解決の方法も上手くはないが、概ね気苦労を経る過程を回避しようとする傾向を示す。そこで、ほどくよりも切断したり、切る簡単な方法を選択する。マケドニアの若い王アレキサンダーは絡んだ糸をほどかずに切って、問題を解決する方法を選んだ。瞬間的に問題を解決したように見えたが、最終的に彼は短命だった。
  • ハム・ドンギュ文学評論家
  • 入力 2015-07-10 16:09:22




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