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[モノの哲学] ゴミ箱、この箱に入るのは「ゴミ」だろうか


  • [モノの哲学] ゴミ箱、この箱に入るのは「ゴミ」だろうか
一人の人間に対する評価が含まれた言葉のうち、口から出て来る最悪の言葉は何だろうか。他人から聞く悪口の中で、最も侮辱的に聞こえる言葉、自尊心の中心を支持していた自分の自我を崩す言葉は何だろうか。下品な罵りが混ざった悪口だろうか。理性を失ってあふれ出てくる暴言の中にある、動物に比喩された人間だろうか。

「ゴミみたいな奴」

この言葉ではないかと思う。それは人間でもなく、動物にも属していない、一種の堕落の底、救済不能に対する価値評価を含んでいる。この言葉が盛り込まれている価値評価の範疇は、現在の時間だけでなく、未来の時間まで含まれている。ある可能性のゼロ。

「ゴミ」という言葉は、そのような意味だ。そのような「ゴミ」を入れているモノが、まさに「ゴミ箱」だ。鉛筆を削った後に出てきた削りかすをゴミ箱に入れながら、ふとその中に入っている「ゴミ」を見る。

いま削った鉛筆の削りかすがある。削った鉛筆で、これから私は机の上のノートに様々な思いを込めた文章を書いていくのだ。その文章の中には、ある作家のためのものもあり、顔を知らない未知の読者に向けたものもあり、生徒として教室で会った学生のための講義ノートもあるだろう。昨日、地方から先輩先生が送ってくれた本を包んでいた黄色い小包の書類封筒もある。その封筒には、差出人と宛先の住所を書いた端整な手書きの文字がくっきりと見える。その手書きの文字には長い間の孤独な研究の末に、本を出版した学者の自尊感とときめきが感じられたり、しばらく会えずにいたのに本を受け取る後輩のことをいつも忘れなかった先生の顔が染み込んでいたりもする。

そうかと思えば、朝の授業に遅れて食事をせずに登校したため、お腹がすいて朝食代わりに食べたパンの袋と空になった牛乳パックもある。自動車保険の満了を知らせる保険更新案内の請求書もある。一度にたくさん注文したオンライン書店から宅配便で受け取った後に捨てた領収書もある。私が注文した本のリストが書かれている。オンライン書店でその本のリストをクリックしながら、とても楽しかった。

鉛筆の削りかす、先輩先生の手書きの文字が書かれた小包用の封筒、忙しい朝の空腹を満たしたパンと牛乳の袋、保険更新の請求書、そして私が購入した本のリスト。これはすべて「ゴミ」の内容物だ。この箱を満たしたしているのは、本当に「ゴミ」だろうか。

「使用して残ったもの」「使用して捨てたもの」を見てほしい。私たちが「ゴミ」と呼ぶそれらは実は自分自身を構成して、自分自身を心配して、自分自身をケアしてくれたもののリストだ。それらが集まっているモノがまさに、この「箱」だ。違う名前を考えることはできないだろうか。
  • 毎日経済_ハム・ドンギュン文学評論家 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2015-03-27 16:12:08




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