トップ > コラム > FOCUS > 「試練はセルフ」というが…聖水大橋を渡りながら考察してみる

「試練はセルフ」というが…聖水大橋を渡りながら考察してみる


  • 「試練はセルフ」というが…聖水大橋を渡りながら考察してみる
先週仕事帰りに聖水大橋を歩いた。川風は刃のように鋭かった。オリンピック大路から進入する車が江南に向かう車と出会い、鋭いクラクションを鳴らした。目の前に高層ビルの森が広がった。

耳と頬が赤くなる頃、緑色の電話機一台が目に入った。 SOS生命の電話だった。「今、大変ですか。あなたの話を聞いてあげます」。救助と救急などの緊急事態が発生しとき赤いボタンを、憂鬱になったり悩みがあるときは緑色のボタンを押すようにという親切な説明も書かれていた。受話器を取ると専門カウンセラーと直接接続されるものだ。

その時ようやく橋の下を見た。くらっとする思いがした。真っ青な川の水が夕焼けに輝いていた。その間を、顔まで重装備した自転車族がさっと通り過ぎた。

漢江の橋で自殺をしようとする人が増えているという。麻浦大橋は5年間で270人が自殺を試みて「自殺大橋」と呼ばれたりもする。川から飛び降りようという人が多いため、そこには様々な自殺予防フレーズが橋に刻まれている。「本当につらかったんだね」「ご飯は食べたの」「あなたは一人ではありません」「明日には日が昇る」というフレーズだけでなく、「もう一回だけ」という像まで建てられた。実際、これらの表面的なフレーズが絶望に陥った人々にどれくらい大きな力を発揮するかどうかはよく分からない。

しかし、10年間「経済協力開発機構(OECD)自殺 1位の国」という不名誉を脱ぐことができなかった韓国政府とソウル市としてはじっと座っているわけにはいかない。

今年は大韓民国全体が胸を痛めた年だった。セウォル号惨事は言うまでもなく通貨危機の時より暮らしが厳しいという訴えは、もはや軽いありふれた言葉に聞こえない。構造調整の寒波で職場生活も殺伐としている。最近ドラマ『未生』の人気のせいか、「試練はセルフ」という言葉が流行している。病気や試練にあった時、その苦痛を家族でさえも十分に理解することは難しい。旧約聖書の中のヨブの話も人間関係の限界を示している。苦難に陥ったヨブのそばには、非常に親しい友人三人がいて、7日間の昼夜を一緒に泣いてくれたが、ヨブは安息や慰労どころか悲しみを感じる。宗教人はどうなのか。最近、ある小説家は公の場で「宗教家たちは現実をあまりにも知らない」と叱責していなかったか。現実と遊離した宗教、一人で孤高な宗教はいつの時代も存在する意味がない。

試練はセルフだ。それを否定することはできない。しかし、それを認めたとしても、力になって慰めることができるのも人だ。私たちはただ、相手が自分の話を聞いてくれることを願うだけだ。聖水大橋の北端に着くと、別の道が始まった。振り返ってみると、赤い太陽が高層マンションの間にかかっていた。
  • 毎日経済 イ・ヒャンフィ記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-12-15 17:01:37




      • facebook icon
      • twetter icon
      • RSSFeed icon
      • もっと! コリア