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日本から送られてきた「朝鮮王の字」、興宣大院君の作品だった

8月、日本人が所蔵していたものを郵便で韓国に寄贈 

  • 日本から送られてきた「朝鮮王の字」、興宣大院君の作品だった
残暑が真っ最中だった去る8月29日、韓国国立中央博物館の遺物管理部に小包と手紙が配達された。日本の千葉県に居住する日本人が送ってきた手紙には、「朝鮮王の字を返したい」と書かれていた。パッケージを開くと横105センチメートル、縦48.7センチメートルの欄間額が出てきて、そこには平凡でない筆跡で「此士」の二文字が書かれていた。

博物館側は寄贈手続きを実行する前に、取得経路と本物かどうかを把握するためにその日本人に連絡を取った。彼は、「父親が町の人から購入した。いつ日本に入ったのかは知らないが、王が書いた字という話だけを聞いて、大切に保管してきた」と伝えた。彼はそれとともに震える声で「死ぬ日まで残り少なくなってきたので、死ぬ前に必ず韓国に返したかった」と身分の露出を極度に避けた。

幸いなことに作品の主人公を推定する手がかりが残っていた。印章が色落ちして薄れていたが、「大院君章」、「石坡」という文字が識別された。王を凌駕する力を振るった興宣大院君李昰應(1820~1898)の字だった。より専門的な鑑定は、韓国書道史の権威である韓国学中央研究院のイ・ワンウ教授が担当した。

作品は、興宣大院君が71歳になった1890年に書いたものと推定された。大院君は自分の名前と号、好きな詩などを刻んだ、様々な印章を作り、書画に押した。この欄間額の印章は1890年作「墨蘭図」のものと同じで、二つの作品が同じ年に制作されたと判断された。「此士」という文字は、「この士」に直訳されるが、「士らしい士」、「真の士」という意味で解釈された。

文字は扁額を彷彿させるほど大きな「大字」で書かれた。多数の興宣大院君の書画の中で大字の作品が露呈したのは初めてだ。大字ではあるが興宣大院君特有の「払い」技法がよく表現されている。文字の保存状態は良好だ。欄間額の中央に配送過程で出来たのか、知ることができない穴があるが、文字には全く影響がないことが確認された。

この作品を書いた頃、興宣大院君はミン家との熾烈な権力暗闘を繰り広げていた。彼は袁世凱と結託して、1887年に長男の埈鎔を王に擁立しようとして失敗したことにより幽閉生活を重ねる。この時、本当にこの世の全てのものを捨てて「真の士」になりたいという思いをしたのかもしれない。

博物館側は最近、寄贈者と寄付手続きを完了したことに続き、今後、保存処理を経て、書道室展示などを検討することにした。博物館側は「日韓両国が略奪文化財返還問題で騒々しいこの時に日本の個人所蔵家が私たちの文化財を返還したことに意味が少なくない」とした。
  • 毎日経済 ペ・ハンチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-12-21 17:19:20




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