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南漢山城、世界遺産登載確実

ユネスコ諮問機関イコモス「登載勧告」判定/来る6月の世界遺産委員会で最終確定 

  • 南漢山城、世界遺産登載確実
  • 南漢山城の東門である左翼門。南門である至和門とともに使用頻度が高かった。

南漢山城がユネスコ世界遺産に登載されることが確実だ。

ユネスコ世界遺産委員会(WHC)諮問機関のイコモスが南漢山城に対して世界遺産登載審査をした結果、「登載(Inscribe)勧告」判定を下したと文化財庁が29日、明らかにした。

登載勧告は異変がない限りその年に開かれる世界遺産委員会で登載がなされるという点で、南漢山城は異変がない限り登載が確実視される。南漢山城は来る6月中旬、カタールの首都ドーハで開かれる第38回世界遺産委員会で登載がなされるものとみられる。

文化財委員会世界遺産分科委員長である東国大のイ・ヘウン教授は、「南漢山城は日常的な王宮とは別個に、山城でありながらも丙子の乱の時は王が日常的に居住した王宮という”非常王宮(emergency palace)”という点を高く評価されたものとみている」とし、「このような山城は世界的に南漢山城しかない」と説明した。

イ教授はさらに、南漢山城は王宮に関連した施設を備えており、築造と運用過程に寺院と僧侶が動員された点で独特な価値を認められたと付け加えた。

南漢山城が世界遺産に登載されれば、韓国の世界遺産は全部で11件に増える。北朝鮮の高句麗古墳群と開城歴史遺跡地区、そして中国東北地方一帯の高句麗遺跡を合わせると、韓国史関連世界遺産は全部で14件にのぼる。

南漢山城は北漢山城と共に首都漢陽を守った朝鮮時代の山城だ。新羅文武王13年(673)に漢山州に晝長城を築いたという記録があるが、これが現在の南漢山城とみられる。ここには百済前期の遺産がたくさんあり、早くから百済温作王の時の城としても知られている。

南漢山城が現在の姿を備えたことは、後金の脅威が高まってイ・グァルの乱を経験した仁祖2年(1624)だ。仁祖14年(1636)丙子胡乱の時、王がここに避身したが、強化が陥落して様式が不足し、仁祖は 世子と共に城門を開き三田渡で恥辱的な降伏をした。

東・西・南門楼と将帥の指揮台・高台・堰などの防御施設、秘密通路である暗門、井戸、官衙、軍事訓練施設などが残っている。
  • 毎日経済_ぺ・ハンチョル記者 | (C) mk.co.kr
  • 入力 2014-04-29 17:04:04




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