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筆厳書院…「河西」金麟厚の節義の象徴
筆厳書院…「河西」金麟厚の節義の象徴
〈河西〉金麟厚(キム・インフ)をまつっている全羅南道長城の「筆厳書院」。力のなかった王への悲しみが書院のあちこちに漂っている。 写真提供=韓国書院統合保存管理団
◆ ユネスコ世界遺産書院紀行/⑦筆厳書院 ◆
「筆厳書院(ピルアムソウォン)」は全羅南道長城郡(ちゃんそんぐん)の黄龍面筆厳里(ふぁりょんみょんぴるあんり)に位置している。主に祭られている人物は湖南地方え道学を代表する〈河西(ハソ)〉金麟厚(キム・インフあるいはキム・イヌ、1510~1560)であり、文廟に配享(合祀)された18賢のうちで唯一の湖南出身の人物だ。筆厳書院は1590年に金麟厚の学問と精神を称える文人たちが意を集め、長城郡の箕山里(きさんり)に建立した。 1592年の「壬辰倭乱」の時には金麟厚の多くの弟子たちが義兵に参加したというが、1597年の「丁酉再乱」の時に日本軍によって消失し、1624年に筆厳里の甑山里(ちゅんさんり)に移築された。1662年に筆厳書院という下賜額が下された。しかし甑山里は地形が低く浸水の恐れがあったので、1672年現在の位置にこれされたものだ。
幼い頃から「神童」と称賛された河西は22歳の時に司馬試に合格し、24歳のときに退渓李滉に会って親睦を結び、31歳に文科に合格した。仁宗(インヂョン、1515~1545)が世子だった34歳の時に侍講院説書として教育を担当し、これが結んだ縁で仁宗と河西は互いを大切に信頼しつつ、乱麻のように絡み合っている時代状況を仁政で解いていくことを期待した。しかし36歳になった年、仁宗が即位してから8ヶ月めでこの世を去ったことから、この時に受けた悲しみと衝撃ですべての官職を辞めて故郷に隠居し学問に専念した。
河西 金麟厚は湖南地域の「朱紫性理学」の流れを継承し、大きく発展させた人物だ。子供の頃の師である金安國(キム・アングク)に学んだ「小學」を非常に重要に考えていたが、これは己卯士林の特徴的な学問だ。金麟厚は道学を尊崇して聖賢の法にしたがって民の心を正しくしようとした。性理学の深い理解に基づいて『天命圖』などを著述し、徐敬德(ソ・ギョンドク、1489~1546)や奇大升(キ・デスン、1527~1572などと交流して討論を繰り広げた。道学思想を奥深く探求し、「太極陰陽論」「四端七情論」「人心道心説」について明らかにしたが、河西の性理学の理論は儒学史において非常に重要な位置を占めている。
河西 金麟厚は文学にも造詣が深く、1600以上の数に達する漢詩をはじめ散文作品を無数に残した。潭陽(たみゃん)瀟灑園などの一帯の亭子で文人たちと深く交流してり、『瀟灑園四八詠』のような作品はこんにち瀟灑園創建当時の姿を探るために最も重要な資料となっている。
筆厳書院は平地に建てられており、入り口が明るく開けている。紅箭門を過ぎると宋時烈(ソン・シヨル、1607~1689)が書いたという「廓然樓」という楼門が立ち現れるが、これは大きく広い無限の領域という意味だ。庭に入ると講堂である淸節堂(チョンヂョルダン)が、入口の門の方を向かずに山下の祠堂に向かって建っている。北を向いており、東斎・西斎で構成された前庭が後ろに配置されたものだ。講堂の名前は淸節堂で、宋浚吉(ソン・ヂュンギル、1606~1672)の筆であり、清廉潔白な節概を守った河西のまっすぐな性格を意味する。
東斎の進德齋(トンドクチェ)は君子が徳を養い、西斎の崇義齋(スンウィヂェ)は意を高めるというものだ。まさに内には心を育てて外には実践という、金麟厚の節概の意志を表現したものだ。崇義齋の横に淸節堂と向かい合っている建物が敬藏閣(キョンヂャンガク)だ。王と先祖の遺物を恭敬し所蔵せよという意味を含んでいる。仁宗が世子時代、金麟厚に描いてやった「御製墨竹圖」と木版を所蔵している。墨竹圖(ムンヂュクト)は岩の間に伸び出た竹で、ソンビの志操を象徴するイメージだ。仁宗に対する金麟厚の節義を高く評価した正祖が敬藏閣と書かれた御筆扁額を下賜したものだ。敬藏閣の後ろにはウドンサという祠堂がある。河西金麟厚を主祭享享に、東に彼の弟子であり義理のある梁子澂(ヤン・ヂャヂン)が祭られているが瀟灑園を造った梁山甫(ヤン・サンボ、1503~1557)の息子だ。
河西は度重なる迫害の中で短い一生を終えた仁宗に対する憐憫の情で、忌日のたびにちかくの山に上がって号泣したという「慟哭臺(トンゴクテ)」がある。仁宗に対する思母曲である『有所思』の詩を読めば、どんな夫婦の縁もこれほど切々としたものはないだろうという感動を呼ぶ。力のなかった王のために生涯を懐かしさと悲しみで過ごした河西の節義は、時代を超えて澄んだ酸素のような力で迫ってくる。
文:イ・ベヨン韓国書院統合保存管理団理事長(写真)
イ・ベヨン韓国書院統合保存管理団理事長 | (C) mk.co.kr
入力 2020-05-22 17:11:37
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