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ソン・イェジン、映画「徳恵翁主」特に愛情が向かった作品


  • ソン・イェジン、映画「徳恵翁主」特に愛情が向かった作品
「まだ少し朦朧とした気分です。映画をもう一度見てようやく細かく見ることができそうです。映画を見ながら本当にとても泣いたのですが、一番たくさん泣いたことは空港の場面です。実際に徳恵翁主が踏みたかった故国の地を年を取り精神が完全ではない状態で来たではないですか」

7月末、ソウル鍾路区に位置するカフェで女優ソン・イェジンと出会い映画『徳恵翁主』をテーマに話を交わした。

▶ ソン・イェジン、「徳恵翁主」にのめりこむ

今年はじめ『悪い奴は死ぬ』が公開され、先月『秘密はない』に続き8月に公開された『徳恵翁主』まで彼女が出演した映画が連続して公開されている。多様な映画を通じて新しいキャラクターを演じ、活発な活動を続ける女優の姿を見ることは観客にとっては喜びだ。

「『秘密はない』は撮影してからかなり時間が経過しており、昨年公開せねばならなかったのに一年近く遅れて今年公開されました。『徳恵翁主』は今年はじめに撮影が終わりました。公開時期が似たため、突然違う映画で違う雰囲気のキャラクターをお見せすることになりましたが、それが良くなるかもしれないですし、観客が見る視覚によって違って考えると思います。『秘密はない』そのものがいくつかの部分で私がやっていない強烈なキャラクターです。ですから(観客がこれまでとは)違う姿を見てくれたようです。一ヶ月の間に『徳恵翁主』という重みのある映画を通じて、悲劇的な人生をお見せすることになりましたが、良く評価してくださっているようで幸福です。メディア試写会を行った際、記者の方の反応がどうかとても心配しました。メディア試写会で私もはじめて見たため心配もしました。けれど雰囲気的には良く見ていただいたようで本当にほっとしています」

『徳恵翁主』は歴史的事実を考証しなかった。クォン・ビヨン作家の小説『徳恵翁主』を脚色して映画化した。実在人物を扱っているが、実話とフィクションの調和で作られた物語だ。こうして誕生したシナリオさえも撮影する過程で多くの変化を向かえ、整えられて映画として誕生した。

「最初のシナリオとは本当にたくさん変わりました。物語をどうするのかによってたくさん変わり、状況に合わせた台詞を(パク)ヘイルお兄さんと撮影に入る前にずっと相談しました。(英親王)亡命作戦の場合、実際にあった事件をモチーフにしています。失敗に終わりましたが、亡命作戦をしっかり表現すればスケールが大きくなり見所と面白さがあると考えました。それでいて徳恵翁主の人生については嘘があってはいけないので、しっかり調節することが難しかったです。ですからずっと台詞と状況を変えながら撮影し、脚色をとてもすることになりました。状況は変わったものが本当にたくさんあります。小説では多くの方々が徳恵翁主と娘の正恵との(物語が出る)部分を悲しまれたと思いますが、たくさん抜かれ武志との結婚生活や徳恵翁主が保温瓶を持ってはじめて日本に留学する部分に対する逸話も抜かれました。お見せしなければいけない状況がとても多く抜け、亡命作戦がむしろ大きくなりました。ですから逆に映画が少しスペクタクルになった部分があります」

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原作小説のファンであったと明かした彼女は、実は小説の内容が思い出せないと正直に打ち明けた。小説よりもドキュメンタリーのリアリティ的な部分に重点を置き、それらを通じてより多くの人々が国の悲劇と似た人生を生き、徳恵翁主という一人の女性の人物を一度は見出すことができればという願いを込めた。

「ずっと以前に読んで以降、再び読むことはできていません。映画は原作小説とは大きく違います。むしろドキュメンタリーや逸話から出たことから徳恵という人物の細かな部分をお見せしたいと思いました。保温瓶にまつわること、日本に行って感じた寂しさ、母親が亡くなったときにも日本にて喪服を着ることができなかったことなど、そんないくつかの状況もあり、結婚した後に娘である正恵が母親を拒否して自殺した、そんな部分をお見せする悲劇が多かったのですが、ややもすれば映画がとても重く飽きるかもしれない部分が多くありました。『徳恵翁主』という映画をたくさんの方々が感じ、一緒にもう一度資料を探すことができ、知ることになる、そういうことが重要であるため、面白さと悲劇的な現実を適切に調和させることがとても大変でした」

彼女は余裕を見せて笑いながら話を交わしながらも、映画に対する話をするときには真剣な眼差しで自身の考えを淀みなく伝えた。記者会見を通じてもそうであったが、今回の映画に対する彼女の愛情と関心が他ならないことを垣間見ることができた。

「一度も経験できなかった歴史的な人物を演じたこと、(映画が)徳恵翁主という人物の一代記ということが私にとって本当に大きな意味があると思います。映画を撮影し、愛情がおおくいったことは事実です。実際にいた人物であるため、私の想像で演技するのではなく、私がしっかり演技して伝えねばならない中間者的な立場だということが(他の映画とは)違いました。私が出演した映画を見て泣くことができるのは、『私の映画が本当に良くて』というそんなこととは違う部分です。撮影しながらぐっとくることがありました」

そんな彼女に他の映画と今回の映画の差は何か尋ねた。実在人物を演じねばならなかったため、自分の考えよりも徳恵翁主の立場で考えねばならないことが一番大きな課題だった。

「難しかった。どんな人物を演じても単純化させたくないタイプです。ある役割をすれば(人物が)豊かになればという気持ちがあります。演技的にひとつの線だけを見せるだけでなければという願いがありますが、今回のやくわりは時代が正確で人物の写真が残っており、どうやって接近するかとても難しかったんです。『私であればこうしただろう』と考えるのではなく、『徳恵翁主だったらどうだろうか』を考えねばなりませんでした。感情が爆発するときにも、とても抑えてはつまらないかもしれないという考えがありました。どうやって中間地点を探すかたくさん悩みました」

ホ・ジノ監督やパク・ヘイルもそうであったが、ソン・イェジンもまた空港シーンを一番記憶に残る場面に挙げた。映画全般に渡っても衣装に特別気を使ったが、中でも空港シーンにおいては格別に考証により重点を置いた。

「最後の空港シーンではほとんど(実際に徳恵翁主が着ていた服と)同じにしました。序盤に私たちが徳恵翁主の衣装をどうするかと議論しました。時代物であり、当時の服がきれいでした。最近はレトロが流行していますが、最近着ているブラウスがその時代に着ていたものと類似しています。けれど徳恵翁主をとても華やかに見せたくありませんでした。ですから相談をたくさんしました。最後に(空港シーンの)衣装だけは本当に(実際と同じく)合わせたかった。重要なシーンは考証しようと努力しました」

『徳恵翁主』を通じて彼女は初めて歴史的実在人物を演技した。彼女にとって歴史的事実を扱う今回の作品を撮影しながら、別の作品を撮影するときとはどのような差があったか尋ねた。

「すべての作品に対する姿勢は同じです。コメディだからと、他のジャンルだからと簡単になるものではないと思います。笑って撮影ができ、笑いのコードを悩んで撮影することも明らかに難しい。『作業の定石』(2005)といった場合、2~3のテイクだけを撮影したりもしましたが、そんなことの楽しさもありますが、凝縮して吐き出さねばならない演技をしなければならないときの心持は少し違いはあります。静かに表現し、観客に移入させ共感させるためにはいくつかの感情と接点が必要です。ひとつひとつやりながら、より深まっていることは正しいことだと思います。目上の先輩方を見れば真似ることのできない部分があります。そんな点から私もずっと深まっています」

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▶ 現場、監督と俳優たち

重みのある映画の雰囲気とは違い、現場は明るいエネルギーで満ちていた。ソン・イェジンはタイトルロールで大きな責任感とプレッシャーを背負っていた。それを克服できたことは、現場の人々だった。ホ監督をはじめとして、俳優たちと明るい雰囲気の中で呼吸をあわせ、重い感情を忘れて演技に熱中することができた。

「監督とたくさん話しました。台本が出てはいましたが、状況リハーサルをたくさんしました。台詞も中間中間で変わったり、動作といったことも同じです。ジャガイモを洗うシーンでは『私がやりたいのよ』という台詞があるのですが、私たちでパロディをしたりもしました(笑)たくさん話しながら撮影したので、深刻なシーンではもちろん真剣に深刻ですが、基本的に余裕があり、柔軟な人々なので驚くほどよく合いました。基本的にすてての俳優がとても柔軟でした。本当に深刻な場面を撮影する状況で笑わせたり、互いに通じるものがありました。前向きなエネルギーのある人々だったので幸せでした。一人でいるときに感じた責任感、プレッシャーが現場にいれば消えました」

徳恵翁主と幼い頃からともに過ごし、彼女を一生見守ってきたキム・ジャンハンはパク・ヘイルが演じた。今回の映画を通じて初めて出会った二人はそれぞれインタビューを通じて、互いからたくさん助けられたと話した。

「ジャンハン役はパク・ヘイルという俳優がしてくれ、たくさん助けられました・以前から本当に(一緒に)やってみたかったのですが、数多くの作品に出演しながらも会うことができませんでした。きっと(パク・ヘイルに)作品がたくさん行っていたでしょうに、互いにすれ違い出会えなかったようです(笑)。さらに(ジャンハン役に)よく似合いました。その時代と(よく似合う)そんな雰囲気があります。パク・ヘイルという俳優が持つ多様性、その中に純粋な真正性(があり)人そのものも演技的な信頼もジャンハンという人物が徳恵翁主を最後まで見守ってくれる人物であるため、そこから来る保護を受ける雰囲気をとてもたくさん受け、感謝が一番大きいです。私よりも肉体的に大変なシーンも多く、後には負傷もし、銃撃戦が本当に激しかったんです。互いに撮影をするときにはあいて俳優がいる場合もありますが、カメラが近寄ってくるときに視線を遠くにして演技するときがあります。海辺のシーンでパク・ヘイルお兄さんにお願いして、前にいて欲しいと伝えました。演技しながら感情を作ることがあるのですが、今回は(演技を)してみて感情を掴むことが多くありました。海辺でから連れて行かれるときには本当につらかった。パク・ヘイルという俳優がその気持ちを(作って)くれたようです」

映画にてパク・ヘイルと男女としての呼吸を合わせたとすれば、ラ・ミランとは女性同士の強い情を見せる。徳恵翁主のそばを守り、宮女であり同士としての役割を果たすポクスンを演じたラ・ミランはソン・イェジンを感嘆させ、感情に集中するよう助けてくれた存在だ。

「母のようで、友人のようで、姉のようで、ポクスンという役割がそんな役割でした。最初に台本を読むなり『ラ・ミランお姉さんだ』と考えました。ドラマ『応答せよ1988』をする前でした。『ソウォン』(2013)という作品をとても面白く見ました。小さなシーンさえも笑いと哀愁がしっかり届きました。幸いにもすごく忙しい状況ではありませんでした。ドラマ出演することになったと、告祀を終えて私たちの映画を撮影し開始しました。忙しい中でドラマ撮影で徹夜しながら良い演技を見せてくれました。徹夜してくれば表に現われやすいのですが、まったく気づきませんでした。ポクスンが(徳恵翁主と)別れる場面は肉体的、感情的につらいシーンでしたが、休みの時間にも最後まで座っていました。精神力が素晴らしい。別れるシーンで切々とした気持ちが感じられ、感情シーンを撮影するときにモニターから流れる彼女の悲鳴の声を生かして欲しいと伝えました」

徳恵翁主の幼い頃を演じたキム・ソヒョンは、実際にソン・イェジンに似ていると有名だ。外見も似ていたが、今回の映画だけは徳恵翁主という一人の人物を演技せねばならなかっただけに、外見をこえて演技まで似た姿を持たねばならなかった。自分と似た子役が自分の若い時代を演じる姿を見た彼女は、どんな気分だっただろうか。

「現場で会って話をする機会が一度もありませんでした。ソヒョンが子供のときから積み上げてきた感情が、自然に増幅せねばならず、それを受けねばならないためシンクロ率が合わなければ台無しになると思ったのですが、しっかりやってくれました」

ソン・イェジンは観客が徳恵翁主をどう見てくれたらと思うだろうか。彼女は徳恵翁主が生前に持っていた考えと感情を見せねばならないという責任感を持って演技した。実在人物の考えを、その状況を通じて見せるということは決して容易なことではなかった。

「(観客がどう見るかは)一番悩んだ部分です。徳恵翁主は独立闘士でもなく、ものすごい業績を残した方でもありません。日本に連れて行かれましたが、教育を受け支援を受けて生きていれば、ただ自分だけを考えていれば楽に生きることができたのではないかと思います。そんな部分から、さらに気持ちが複雑です。映画の最後に登場する手紙、ここから来るものが原動力だったと思います。一人の女性の人生が歴史のように悲劇的だったことを考え、徳恵翁主が亡命作戦で実際に含まれていたとすれば、どんな姿だったか悩みました。私たちが考える悩みと、観客が見たい姿が明らかにあると考えています。徳恵翁主という人物は姫ではありません。徳恵翁主が持つ最後の悲劇性というものに教訓があるものではありませんが、一度くらいは見て記憶して欲しいと思います」

  • ソン・イェジン、映画「徳恵翁主」特に愛情が向かった作品
  • シックニュース チェ・ジョンウン記者 / 写真=ロッテエンターテイメント | (C) mk.co.kr
  • 入力 2016-08-14 09:00:00




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