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[全文訳]ユ・アイン、SNSに心境告白「私はフェミニスト」


  • [全文訳]ユ・アイン、SNSに心境告白「私はフェミニスト」
「私はフェミニストだ」

俳優ユ・アインが自身がフェミニストであると明かし心境を伝えた。

ユ・アインは26日、自身のSNSに「私はフェミニストだ。どんな権威が私に『資格』を発行するのか分からないが、信念と愛と時代精神を込めて『フェミニズム』を話そうと思う」という長文を残した。

先立ってユ・アインはネットユーザーとSNSにて舌戦を繰り広げている。

以下、ユ・アイン掲載文全文

私は「フェミニスト」だ。どんな権威が私に「資格」を発布するのか分からないが、信念と愛と時代精神を込めて「フェミニズム」を話そうと思う。320文字のツイッターや絵で話すインスタグラムの副作用として集団失読症を患っている新人類にとってはとても長く難しい文となるものであり、文を通じて人を見るまた別の人々にとっては「他人」の「世界」を垣間見る崇高なものになるだろう。収益と所得を望む者たちにとっては餌になるだろう-しまった!

彼らの貧しい魂をとてもすべて抱きしめることができず嘆かわしい。自然を文字に写すことにおいて仮想世界で私の魂が傷つくのではと心配し、鋭い盾を先に立てることはとても悲惨だ。

それでも書く。傾向的な語彙と刺激的なイメージを弾丸のように乱発し、戦争を起こす世界で勝利の喜びに陶酔するには私の中の文学少年がとても悲しむためだ。

戦うというのではない。だから戦った。だから書く。血と涙であなたに私を送る。それが私の「文」であり、「私」だ。噛まれ、食われ引き裂かれて粉々になったままこの世界を浮遊するのは文ではなく私だ。興じるな。匿名がそれほど名誉あるものか。記者という名前の名誉はまたどうだろうか。私たちは獣ではない。腹ではなく、魂を満たさねばならない。

私の名前は「オム・ホンシク(嚴弘殖)」だ。私が付けたのではなく、何かを植えろと付けられたのかは分からないが、厳格の厳に大きな弘心を植える(殖)をくっつけて祖母がつけてくださった名前だ。私は保守の歴史と伝統を誇る大邱にて姉二人を持つ末息子であり、代を引き継ぎ祭祀を執り行う長男として生まれ「差別的愛」に耐えて生きた。役割はあったが「オム・ホンシク」はいなかった。誰もがそうであるように、自我探しのたびの苦難が目の前に広がり、今も進行中だ。身体は老化の速度を上げているが、精神は拡張を止めないため、それが私の中2病の当然の実態だ。私はつねに人生が困難だ。毎瞬間が新しく、その時間に属するすべての私が新しい私であるため。

父親は私を「犬」と呼んだ。恥ずかしいが今も故郷に戻れば父親は私を幼い頃のその呼称で呼ぶことを楽しまれている。貴重な息子はそう呼んでこそ長く生きるという。「貴重な息子」

下の姉の名前はハングルで「バンウル」だ。そのときには私の祖父母の大切な子どもたちである私の両親が得た子どもたちが娘二人しかおらず、次は必ず息子を産めと、祖母がそうつけたそうだ。「オム・バンウル」可哀想で可愛い名前。

祭祀の日となれば母は祭儒を行うため腰を曲げ、父は屏風を広げて紙榜(紙で作った位牌)を書くのに背筋を伸ばす。早くからひねくれた少年だった私の目にはそう見えた。「おかしく不平等なおままごと」。祭祀が終われば母は供え物を分けて食べる食事を用意し、叔母と姉たちは皿洗いといった後片付けを一緒に手伝った。家の男たちが「性」に良い虚勢を吐く場に女性たちが割り込むことはなかなか難しいことではなかった。

戦争と宗教の歴史と、各種人間の思想が合作してもたらした男尊女卑の「伝統」と、その伝統が再びうみだした人間社会の惨状は私の家でも誇らしい骨董品として展示された。とても暴力的なその風景はあからさまに繰り広げられたが、誇らしく相続されることはない。誰もがそうであるように私は「母親」という存在の子宮で妊娠し彼女の苦痛により世界の光を見た人間だ。そんな私はフェミニストでなく厚かましく生きていく才能はない。我々の母親は解放されねばならない。疑問でねじれた私は決して厚かましくその風景を受け入れることはできず、そんな旧時代の遺物が展示されたこの時代が私にとって今も疑問を残しているという事実が私を証明する。疑問という苦痛、恐怖からもたらされる存在が人間ではないだろうか。

私は獣ではない。私は人間であり、私は母と父の貴重な息子だ。私の貴重さが単なる「息子」という「性」に根拠するのならば、私はその貴重さを喜んで脱ぎ捨て空腹の獣のようにこの都市をさまよわねばならないだろう。おそらく「畜生」として生きることを避けることができない瞬間が多い。「畜生」にならないように生きることが私の人生かもしれない。すべての人間はそのものが尊い。息子だから尊いのではない。娘だからと卑しいというのはさらに違う。すべての息子娘たちが、すべての両親の子どもたちが全員尊く尊厳だ。誰が違うだろうか。

私はフェミニストだ。はは。そうであろうとなかろうと、何と主張しようと、何と呼ばれようと私はただそんな人間だ。そして今ようやく告白するが、この文は迷惑をかけて流行する仮想世界でのその「フェミニズム」に対する話ではない。その流行を借りて「人間」と「関係」と「世界」に対する私の話だ。「人間」を探求し「世界」を理解し、それを反映する「演技」を生業とした一人の俳優が文で伝える「人相」だ。容易には届かないだろうが、私式にやる。

「差」は「差別」の障壁となり我々を分け隔てている。私は「差別」なくすべての違う存在たちとこの偉大な技術を通じて連結されたい。「社会関係網サービス」の中で真性な「関係」を持ちたい。それは肯定的には「俳優」の役割を、この秩序の中で削除させることでもある。不可能な理性のようだが、私はだから「俳優」として存在し、この場所で「私」として存在する。

男性と女性。他のタイプの人間たちが戦争、宗教、支配の歴史の中でもたらした生物学的機能と社会的役割の差が差別を作り出した。差を差別に転換する強者の暴力は性の差だけでなく、すべての個々人が構成する社会の中で少数者に、弱者に向かう。

すべての息子娘たち:人類は今も多様な形態の「戦争」を起こしている。苦痛でなく、便宜と楽しさのため作られた技術で我々は交流ではない戦争を起こしている。この時代の戦争はこれ以上男性たちの専有物ではない。この時代には旧時代の教理、秩序ではないこの時代の精神と思想が必要だ。我々は「戦争」をやめ、そこから再び始めなければならない。「金の取引」と「競争を通じた成長」が生んだ技術が人間性を削除する惨状を、我々が目撃しているではないか。人間と我々の感情は現実と仮想が多次元的に交差する混乱の世界で道を失い漂流している。

他人と私の間を連結する「ソーシャルメディア」とそうした「コミュニケーション」がひとつの社会を作る「ソーシャルネットワーク」は先端技術の飛躍的な成長とともに、「仮想世界」を繰り広げて「現実世界」と多次元的に交差している。これはスマートフォンで代弁される各種最新ディバイスを使用する現代人の人生を反映し、人間社会と人間性、そのものを完全に変化させた。我々はふたつの世界を同時に生きている。現実と仮想が混在した完全に新しい「新世界」だ。難解な用語などはすべて消し去っても、皆さんは今この世界を十分に感知することができる。ここは「facebook」であり、あなたはそこに「存在」するのだから。

我々はオフラインとオンラインという二つの世界に同時に属している。他人と光の速度で繋がる関係網は人類文明の偉大な成果だ。この場所で人間はこれ以上「戦争」せずに「助け合い」平和を探さねばならない。

戦争は恐怖の象徴だ。我々をひとつに連結した技術の世界に埋没され、すべての個人と個人が序列争いをするように競争で戦争を犯す。どんな勝者も幸福ではない戦争。それは「催眠」だ。どんな勝者も永遠ではないこの時代。大韓民国元大統領も、超大企業財閥3世も拘置所での時間を過ごしているこの時代。我々が恐れねばならないことは、他人でもなく技術でもなく秩序でもないのかもしれない。我々が本当に怖がらねばならないことは、我々が失いつつあるという事実だ。我々の人間性を、我々の精神を失いつつあるという事実だ。歴史がうみだした現在が、我々を侵食せずに我々を燃料や部品に転落させず、我々自らもっとしっかり生きることができるよう覚醒せねばならない。

私は私だ。あなたがあなたであるように。はは。そうであれ、なかろうと、何と主張しようと、何と呼ばれようと私はただこんな人間だ。私はあなたに勝つために力を使いたくない。あなたと繋がりたく、うまく過ごしてみたい。そして尋ねたい。あなたはどうなのか。私と同時代を生きる全ての人々に私の話を伝える。そして願う。これ以上「技術革命」に引っ張られず、堂々と主導し「精神革命」を起こそうと。その方法と道をこの便利な技術の中で共に探そうと。それが技術ではなく、人類進化の鍵ではないだろうか。もうやめろ、たくさん刺されただろうが!
  • MBNスター ソン・ジナ記者 / 写真=MBNスターDB | (C) mk.co.kr
  • 入力 2017-11-26 20:11:35




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