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世間を騒がせた芸能人…カムバックに臨む姿勢と論争

◆ City Life 第453号…STAR TAP ①/⑤ 

  • 世間を騒がせた芸能人…カムバックに臨む姿勢と論争
2010年、兵役忌避疑惑で法廷に立った後、芸能界を離れた歌手のMCモンが再び帰ってきた。5年ぶりに発表した新しいアルバムのタイトル曲である『私が恋しかったのか』は、一気にすべての歌謡チャートを占領する勢いを見せた。すべてを放棄して断絶された生活をしていたが、恋しさの力で挫折を克服するという内容の歌だが、彼のカムバックだけを念頭におけば、断然、挑発的に映し出されるタイトルだ。MCモン側は一応「アルバム発表後、放送や公演など、他の活動は全くしない」と明らかにしたが、とにかく彼の歌謡界カムバックは順調に軟着陸したものとみられる。

また、過去2011年8月、KBS 2TVドラマだった『スパイ明月(ミョンウォル)』の撮影を無断で抜け、米国に行った俳優ハン・イェスルも去る1日に放映を開始したSBS新週末ドラマ『美女の誕生』の主人公を引き受けてカムバックした。2011年当時、彼女の撮影拒否でドラマが放送休止されるという初めての事態が発生したが、再び大衆の前に立ったハン・イェスルは「誰しも生きていると避けられない試練や悪材料があり、そのような事を経験したようだ。3年ぶりに帰ってくるということは決して容易ではなかった」は淡々としながら堂々とした意外なカムバック所感を明らかにし、再び議論を呼んだ。

彼らのように、かつて社会的に物議を起こした芸能人らが最近相次いでカムバックを宣言した。しかし、彼らのカムバックを見る視線は、暖かくも、また愉快でもいないのが事実だ。アーティストとしての才能はもったいないが、社会的には少なからぬ影響力を持つだけに、普通の人よりもはるかに厳格なレベルの自粛と反省の時間が必要という世論が支配的だ。

もちろん、逆の見方もある。力のある政治家や企業家たちには限りなく寛大な法的、道徳的な基準が、なぜ芸能人にだけ厳格でなければならないのかという意見も少なくはない。一言で芸能人は「恰好の餌食」なのかという視点だ。それにもかかわらず、彼らのカムバックが議論になるのはカムバックに臨む彼らの姿勢にも起因する。自分の意思と他人の意志により空白期を持って、カムバックを試みている芸能人のほとんどが、明確な反省の気配なしに、とにかく自粛と反省の時間を恣意的に解釈して、いつそうだったのかというようにこっそりと芸能界に戻ってくるからだ。

  • 世間を騒がせた芸能人…カムバックに臨む姿勢と論争
違法賭博をした容疑で検察の調査を受けた後、1年余りの空白期を持って放送に戻って来たBOOMも去る30日、Eチャンネルの番組『勇敢な作家達』にゲストとして出演し、事実上の芸能界復帰を宣言した。彼は放送に先立って、その放送のフェイスブックを介して、謝罪文を読み上げる映像を公開した。謝罪文には「反省する」「申し訳ない」「許してほしい」などの表現がいっぱいだったが、謝罪の方法として「謝罪文映像」が果たして適切だったかについては意見が多い。

睡眠麻酔剤のプロポフォール投薬容疑で司法処理を受けた俳優パク・シヨンの芸能界カムバックも静かに行われた。ただし、パク・シヨンは、カムバックに際し放送を介して、また別のインタビューを介して、ファンたちの心を動かすほどの心からの謝罪を見せたという評価を受けており、今後の芸能活動の如何によっては大衆の心を動かす可能性もありそうだ。

かつて世間を騒がせた「問題を起こした」な芸能人たちのカムバックは、それ自体で再議論の種だ。彼らが過ごした自粛と反省の時間が適切なのかという指摘もあり、カムバックに取り組む彼らの姿勢を指摘する世論も少なくない。世界を騒がせた過ちがあった場合、心からの謝罪とそれにふさわしい自粛の姿が優先というのは世の理だが、カムバックにまで議論が発生した場合は、もっと大きな問題ではないか。
  • Citylife第453号(14.11.18日付)
  • 入力 2014-11-18 16:10:58




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