Q.「次から次へと続く話」に出た盗賊チョ・セヒョンについて教えてください

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A. 1. 国の恥をかかせないために外国人の家に入って盗まない。
2. 他の窃盗犯に被害を与えないために判事や検事の家は入ってもそのまま出てくる。
3. 道具は使わない。
4. 貧しい人のお金は盗まない。
5. 盗んだお金の30~40%は貧しい人のために使う。

チョ・セヒョン(趙世衡)が法廷で明らかにした自分の窃盗規則です。
このため、前科16犯に「大盗(テド)」というニックネームが付きました。







大盗として知られるようになったのは、彼が活躍した1970~80年代の韓国社会の雰囲気と関係があります。チョ・セヒョンの窃盗行為に言及されるものが水玉ダイヤモンド(写真上)ですが、彼がチャン・ヨンジャの家に入って盗んだものです。

チャン・ヨンジャはチョン・ドゥファン(全斗煥)元大統領の義理の叔父、イ・ギュグァン(李圭光)の義理の妹、系図を考えることは難しいですが、ともかく大統領の親戚です。夫のイ・チョルヒ(李哲熙)もまた、陸軍防諜部隊長と中央情報部次長を務めた権力者です。

詩人のキム・ジハ(金芝河)は譚詩の「五賊」で財閥、国会議員、高級公務員、将官、長官、次官を韓国の五賊と称しましたが、チャン・ヨンジャはまさにこれに該当します。つまりチョ・セヒョンは「五賊」の家だけを選んで盗んだということになります。

京郷新聞の4コマ漫画『チャンドリ』(2019年6月26日)に掲載された漫画も、そのような雰囲気を反映しています。

全羅北道(チョルラプクト)全州(チョンジュ)で生まれた孤児、チョ・セヒョンは16歳から盗みを始め、大盗で有名になった1982年まで11回も捕まり刑務所生活を送った常習犯でした。

だから、上で自ら明らかにした盗みの原則も盗む技術がある程度熟達してから出てきたのでしょう。権力層と裕福な家だけを選んで盗んだため彼がどの家に入って盗んだのか、その家から何が出たのか世間の関心を集めました。

一例としてキム・ジュンソン(金俊成)元経済副首相の自宅に入った時は拳銃3丁と実弾200発余りを盗み出し奨忠洞(チャンチュンドン)の交番に密かに持ち込んだりもしました。チョ・セヒョンの行跡も大胆ですが、生涯金融関係者、企業家、官僚として生きてきたキム・ジュンソンがなぜ拳銃を5丁も持っていたのかも知りたくなりました。だから、家に盗賊が押し入られても黙っているしかないのです。

チョ・セヒョンが5原則のほかにもう一つ遵守することがあるんですが、それは営業時間です。夜は絶対仕事をせず午前10時から午後3時まで盗んで歩く「ナッティ」でした。

*ナッティ(낮티):昼間に活動する泥棒という意味の隠語

普通のサラリーマン同様に出勤して(?)帰宅するため、妻でさえ彼を盗賊だと疑ったことがなかったそうです。最初の妻は彼を宝石卸売業者と思ったと供述しました。

泥棒をして過ごしたチョ・セヒョンの切り札は80センチを超えるジャンプ力です。身長も175センチと年齢に比べて高い上、高跳び選手に匹敵するジャンプで裕福な家の高い垣根を行き来しました。

塀の突き出た部分に片足を踏み入れ空中に浮いて塀に手先をかけると、ゲームはもう終わったことになるそうです。

チョ・セヒョンは盗みを働く時より拘置所から脱した後、有名になりました。

1982年11月に逮捕されたチョ・セヒョンは1983年4月、裁判を受けるため裁判所の拘置所に移され、そこから脱出し5泊6日間の逃走生活を送ります。下は青い囚人服に上はみすぼらしい姿でしたが、ある家に入って自分にぴったりの洋服に着替えました。

鏡を見ながら格好に満足し「どの家に行って盗もうか」と考えた末、三星家(Samsung)初代会長のイ・ビョンチョルの家に行くことに決めました。奨忠洞の三星家へ向かう途中、彼を見つけた18歳のイ某君によって追われることになります。イ某君の通報を受けた警察が出動し追撃戦となりましたが「チョ・セヒョンが現れた!捕まえろ!」という叫び声に住民が出て退路を塞いだため、袋の中のネズミのようになり結局警察が撃った銃によって捕まりました。

チョ・セヒョンが拘置所を脱出した後、多くの韓国人が捕まらないことを望みましたが**、金持ちだけが暮らす奨忠洞で援軍を得ることは難しかったはずです。警察の追撃戦に加わって退路を塞いだ住民のうち何人かはチョ・セヒョンに盗まれた経験があるかもしれません。

**1983年9月1日、夜9時の放送ニュースのトップ記事は大韓航空007便撃墜事件ではなく、チョン・ドゥファンが清津洞(チョンジンドン)で街頭掃除をしたという近況記事でした。政治的記事には報道指針を作って統制していた時代だったので、チョ・セヒョン事件までは干渉しませんでした。新聞や放送は大盗の記事で権力層の不条理な姿を映そうとしました。

チョ・セヒョンはその後、懲役15年、保護監護10年を言い渡され凶悪犯だけを選んで監禁する青松(チョンソン)刑務所で、1坪の独房で15年間、手錠をかけられ独居収容されました。権力層を怒らせた代価をしっかり払ったわけです。
  • Lim, Chul
  • 入力 2021-09-06 00:00:00

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