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李健煕会長の不在から満2年…李在鎔サムスン電子副会長の選択と集中は進む

ソフトパワーDNAの移植…「新型サムスン」は進行形 

    • < 駆け足の「李在鎔 2年」 >

    来る10日は李健煕(イ・ゴニ)サムスングループ会長が急性心筋梗塞で倒れ、経営の一線から離れて満2年になる日だ。李健煕会長の不在の中で、サムスングループは多くの変化を経た。息子の李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長の「実用主義」リーダーシップの中で、系列会社の再編と新事業の発掘が同時に進められている状況だ。

    李在鎔副会長はこの2年間、「選択と集中」を通じてグループの系列会社を「電子・金融・バイオ」の3つの軸に整理している。この過程で着実に収益をあげてきた化学・防衛産業の関連会社を売却し、市場では建設・広告・外食部門に対する追加売却があると見ている。グループ全体の事業の枠組みは変わっているが、まだ李副会長の経営哲学の明確な姿は見えない。 「品質マネジメント」「デザイン経営」など、さまざまな話題でグループの基本的な枠組みを直接提示した李会長とは異なり、李副会長は自分の声を外部に露出させないからだ。まだ2年しかたたない短い期間にもかかわらず、李副会長のビジョンとリーダーシップに疑問を持つ声が出てくるのはこのためだ。

    李健煕会長不在の後、サムスングループは急激な変化の様を見せた。まずサムスン(SAMSUNG)のロゴを持つ会社だけでも7社が消えた。 6社は売却を通じて、残りの1社は合併で姿を消した。これまでは30社を超えた系列会社が、現在は財団などの無収益系列会社をのぞけば23社に減った状況だ。

    李在鎔副会長時代を見せつけた最も端的な事件は、2014年11月にサムスン総合化学・サムスントタル・サムスンテックウィン・サムスンタレスなどの化学・防衛産業の4つの系列会社をハンファグループに売却したことだ。これまでは収益を出す会社を売るということ、ましてやいつでも競争関係になりうる他の財閥企業を対象とすることは想像もできないことだった。李副会長は個人的な人脈を通じてハンファグループに「ビッグディール」を提案し、これを成功させたと評価を受けている。

    李在鎔副会長のグループ承継が策定されたのは昨年の5月だ。李健煕会長が務めてきたサムスン生命公益財団とサムスン文化財団理事長職を承継した。 これらの2つは、李会長が秘密資金事件などで経営の一線から退いたときにも席を維持するなど、サムスングループとしては象徴的な席だ。またサムスン生命公益財団はサムスン生命の株式2.18%を、サムスン文化財団はサムスン生命の4.7%とサムスン火災の3.1%の株式を持っているなど、グループの支配構造でも重要なところだ。

    李在鎔副会長の理事長職承継後、一番初めに行われたことが同月に発表された第一毛織(旧サムスンエバーランド)とサムスン物産の合併だ。グループの主力系列会社のサムスン電子とサムスン生命に対する支配力が弱かった李副会長は、系列会社の再編を通じて自分の持分を高める必要があった。

    合併の過程でヘッジファンドの米エリオット社が訴訟を提起して困難を経験したが、サムスンの「愛国心マーケティング」を通じて合併は成功裏に終えた。合併の結果、李副会長はサムスン物産の株式16.4%を確保して筆頭株主の座に上がり、サムスン物産はサムスン電子の株式4.1%とサムスン生命の持分19.3%をそれぞれ保有する大株主になった。

    このような変化の核心は「選択と集中」だ。現在は金を稼げるビジネスでも、長期的に「グローバル1位」になれない事業は果敢に整理するというのが李副会長の腹心だ。フランスの広告会社パブリシス社への第一企画の売却作業が進行中で、さらに建設部門や外食部門、金融部門の中でも一部売却が議論されていることもこのためだ。

    会社売却のほか、この2年間に社屋売却と移転という変化もあった。サムスンの象徴の一つであった太平路のサムスン生命社屋は今年初めにプヨンに売却され、電子関連会社は水原(スウォン)に、金融関連会社は瑞草(ソチョ)社屋に移転する作業が進行中だ。これまで李健煕会長が不動産の保有を大切に考えていたならば、李在鎔副会長は業務用途外の不動産保有に対しては懐疑的な見方だというのがサムスンの内部関係者らの話だ。また「グループの中核である電子は必ずソウルになければならない」という名分にとらわれず、サムスン電子のほとんどを水原本社に集結させたことや、金融系列会社をソウル市江南の一か所に集めることも、名分よりも実利を追求する李副会長のスタイルだという説明ある。

    このようななかで、新事業のための様々な投資も進められている。最大の変化は昨年、サムスン電子の電装事業部の新設だ。 2000年のサムスン自動車の売却後、グループ内では見向きもされなかった自動車関連事業に足を踏み入れたことが意味のある部分だ。これまでサムスンの内部では、「輪のついた製品は冷蔵庫の車輪よりも大きいのは出さない」が不文律だった。しかし電気自動車や自律走行車の時代を迎え、この分野に強みを持つサムスンがこれを無視することは困難だった。優秀な人材を積極的に迎え入れて、長期的に成長できるB2B(企業間取引)事業の大きな基盤を整えたという評価だ。

    サムスン電子は京畿道の平沢(ピョンテク)に、2018年までに15兆6000億ウォンを投資して新しい半導体ラインを建設することや、昨年12月に仁川・松島(ソンド)にバイオ医薬品を生産する第3工場に着工したことも意味のある部分だ。特にバイオシミラー(後発医薬品)の時代を控え、複製薬開発の委託生産(バイオロジックス)とのツートラックで事業を展開することに対する肯定的な見方が多い。まだ具体的な成果がはっきりとは見えないが、これまでの半導体投資の初期にも似たような指摘があったという業界の反応だ。

    2014年5月10日に急性心筋梗塞で倒れた李健煕会長は、大きな変化もなしに入院治療を受けている。サムスングループの関係者によると、李会長は心肺機能などの身体機能は比較的安定しているが、意識の回復には大きく快方に向かわないことが分かった。李会長が起きている日中は、車椅子運動を含むリハビリ治療が行われていると伝えられた。

    グループの関係者は、「夜に睡眠をとって昼間に起きているなど、李会長の身体の健康は良好な状態」だと耳打ちした。李会長はまたテレビを視聴しながら、自分の好きな場面が出てきたら関心を見せ、嫌いな番組にはしかめ面をすることで自分の意思を表現することもあるとこの関係者は伝えた。

    李会長が長期入院した後、サムスングループは派手なイベントを避けて「静中動」の歩みを見せている。夫人の洪羅喜(ホン・ラヒ)女史、子供の李在鎔サムスン電子副会長、李富真(イ・ブヂン)ホテル新羅社長、李敍顕(イ・ソヒョン)サムスン物産ファッション部門長などの家族と、崔志成(チェ・ジソン)サムスン未来戦略室長(副会長)などの少数の社員が頻繁に見舞い、李会長の健康状態を見守っている。
  • 毎日経済_イ・スンフン記者/イ・ギチャン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-05-05 01:02:07