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[大韓民国画家 ⑥] 欧州抽象絵画の巨匠、顧菴イ・ウンノ誕生110周年

オールドボーイの帰還…応答せよ! 7080美術界の元老たち ⑥/⑦ 

    東洋画と西洋画の絶妙な合致、西洋美術の中心地に行った東洋画家、韓国の作家としては唯一、ヨーロッパ人に韓国画と書道を教えた作家、顧菴イ・ウンノ(1904~1989)。1960年代には既に「カリグラフィー」の概念と「かき出したコラージュ」の概念をもたらした顧菴イ・ウンノ画伯の誕生110周年を迎え、国内外で多くの連携行事が開かれている。

    1958年、フランスの評論家の招待で中年の年齢である55歳の年齢で、パリに行った顧菴(コアム)。東洋の画家が西洋美術の中心地であるパリで展示を開くために渡仏するという事実は、当時大きな話題になった。戦後、最も前衛的な画廊であった「ポール・ファッケッティ・ギャラリー(Galerie Paul Facchetti)」と専属作家契約を結んだ顧菴は、パリ画壇を席巻していたアンフォルメル(非定型の芸術)美術を目撃する。

    1962年、パリでの初個展では、紙を切り抜き、平面的に貼り付けていた既存のコラージュ(collage)の代わりに、彩色された紙を付け加えた後、ナイフでかき出して削り、雑誌を手で破って作ったコラージュを披露した。世界的な作家としての名声を積んでいた中、1967年「東伯林事件」に関与して約2年半の間、服役をした彼は、刑務所でも醤油と味噌を材料にトイレットペーパーにデッサンをして、米粒と紙で彫塑作品を作った。

    去る6月に開かれた『西ドイツに行ったエランジェ、李應魯(Lee Ungno、etranger in West Germany)』展は、1950年代後半に停滞した韓国美術界から抜け出し、ヨーロッパに向かったが顧菴が1950~1960年代の西欧近代美術に占める位置を知ることができる展示だった。
  • Citylife第454号(14.11.25日付)文_パク・チャンウン記者/写真=ギャラリー現代、アラリオギャラリー、国際ギャラリー、李應魯美術館 | 入力 2014-11-25 11:10:10.500000000