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キム・ヘス、「映画の中の残忍で熾烈な競争は私たちの日常と同じ」

キム・ヘス インタビュー ①/② 

    キム・ヘスに母親という単語が与える一般的な常識から抜け出し、違う人物である母親を演技することは容易ではなかった。

    23日、ソウル鍾路区八判洞に位置するカフェで映画『チャイナタウン』(ハン・ジュンヒ監督)を媒介として女優としての多様な話を交わした。

    この日キム・ヘスは組織のボス、マウヒであり別名「オンマ(母)」というキャラクターについて「オンマがチャイナタウンで生きていく方式が、常識的ではなく極端です。生存ということがキーワードとなった原始的な生存」だとし、「自分が生きるためにはどんなことも躊躇いません。私たちの日常的な基準とは価値基準が違って出発します」と説明した。

    キム・ヘスが演じる役割は一般的に考える「オンマ」とは違う。彼女はこんなキャラクターについて「一般的にオンマとは自分が帰る場所だというのが常識的に支配されます」とし、「この映画では、まるで子供が生まれたときに子供の生存を握っているオンマ、その子供を守るために何かするオンマというよりも、運命生存を握っている食物連鎖の上位にいる存在」だと表現した。

    また、「誰かの生命を握っている絶対的権力者です。映画撮影を開始してから、そんなプレッシャーを取り除いてみると、とても明白なものがありました」とし、「オンマは生存そのものであるキャラクターでした。根のない移民者としてやって来て定着しようと、来て捨てられようと、根拠のない生存だけのために生きました」と伝えた。

    続けてキム・ヘスはオンマという役を演技するときに置いた主眼点として「とても極端で、映画の中でのみ存在する人物のように思えるけれど、シナリオを読み終えてみると、どこかに実在しそうな人物でした。現実で存在するような人物に重点を置きました」と話した。

    キム・ヘスは一般的な日常とは離れている、多少残忍なキャラクターを演技しながら共感を持つ点を挙げた。キム・ヘスは「映画を見てはっきりと感じたことですが、使えることを証明し、それを証明するためにすることが、自分が捨てられないための、生存するための非人間的な方式を強要されて生きていく」と話した。

    このような過程について、「実際、簡単に同意できませんが、極端な方式のメッセージが私たちが生きていくこと変わりない」とし、「競争社会で生きるか殺すかということではありませんが、熾烈な競争や行動を数多く体験しながら生きています。私たちの日常と脈略を同じにする部分があります」と説明した。

    キム・ヘスの30年という演技経歴中、順調に生きてきたわけではなく、遅く生じた女優としての自意識は彼女をより強くした。

    彼女は「30年です。周辺がそう言うんです」と話し始めた。

    キム・ヘスは女優をはじめることになったきっかけについて、「子供のときに文化的でもなく、平凡でした。広告を撮影し、映画をやってショートドラマを撮影した」とし、「完全に子供でした。同じことをずっとやらせていたけれど、子供なのに何が分かるでしょうか。とても特別なことをする大人たちの中にいるんだな、という雰囲気は受け取りました」と説明した。

    キム・ヘスは総35本の映画を撮影した。順調にだけ思えた女優生活は違ったのだ。キム・ヘスは苦労した瞬間について「個人的に序盤は良く分からずはじめて、特別な大人の中で特別な気運を感じることが不思議でした」とし、「女優として自意識がありませんでした。文化的な熱望が多くありませんでした。新しく新鮮で、何かさせれば何か分からないままやりました。学校に行かず、そういうことが良かった」と話した。

    続けて、女優としての自意識が送れて生じたことを正直に告白した。キム・ヘスは「大学に行ってから、先輩たちが映画について深く論じれば、書いておかないといけないかと思いました。人間的にも成長が遅く、礼儀も遅く身に着けました」とし、「女優としての自意識はとても遅く生じました。対内外的な乖離感がありました。人々が考える芸能人キム・ヘスと実際に私が体感する、仕事するキム・ヘスの間隔がありました。若い頃にはじめたせいか、仕事を判断する主題から私が抜けていたことを知るまで時間がかかりました」と明かした。

    また、キム・ヘスは「私と同じ仕事をする人々が、私と話しをするのではなく、当時保護者だった母と話をしました」とし、「母は専門的にマネージャーをする人ではありませんでした。その当時には一番急ぎの人々の作品からやりました」と話して笑いを誘った。

    苦労した瞬間を克服した方法として、「とても荒く無謀な試みをしました。挫折もし、一方では時間が流れて楽で自然な方法を探しました」とし、「遅れて自意識が剛性に育ちました。時間が流れた後には、私の意思などがとても明確になった」と話した。


    <続く>
  • シックニュース パク・ヘラン記者/写真=CGVアートハウス | (C) mk.co.kr | 入力 2015-04-23 18:31:10