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スピードスケート韓国代表イ・ギュヒョク 夢は捨ててない

オリンピック6回連続出場、36歳、イ・ギュヒョクの最後の挑戦 

    小説『三国志演義』で諸葛亮は、「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」と、ため息をつく。2014年ソチ冬季オリンピックを控えた韓国スピードスケート国家代表チーム「長兄」イ・ギュヒョク(36・ソウル市役所)の心情もこうだろうか。

    1994年リレハンメル五輪で、韓国スピードスケート最高の期待の星というタイトルをつけて、初めて冬季オリンピックの舞台を踏んだイ・ギュヒョクに、オリンピックのメダルは「時間の問題」とだけ考えられた。2010年バンクーバー大会まで、世界トップ圏の技量を維持したが、手に握るかのように言われていたオリンピックのメダルを、イ・ギュヒョクはただの一度も握らせてもらえなかった。

    いまイ・ギュヒョクはソチで最後のオリンピック挑戦に乗り出す。バンクーバー大会の時、後輩モ・テボム(25)とイ・サンファ(李相花、25・以上、ソウル市庁)が金メダルを摘み取ることを黙って見ているだけだったイ・ギュヒョクは、ソチで悔いのない仕上げをするという覚悟を固めている。

    バンクーバー大会でイ・サンファ、モ・テボム、イ・スンフン(26・大韓航空)が「金色の宴」を繰り広げるとき、実は代表チームの関係者は、イ・ギュヒョクが金メダルを取ると予想した。当時代表チームを率いていたキム・グァンギュ大韓氷上競技連盟専務理事は、「イ・ギュヒョクがメダルをぶら下げると確信した」と語ったし、イ・ギュヒョクもまた「これが最後」という覚悟で、バンクーバーのスケートリンクを走った。結果は惨憺たるものだった。モ・テボムが500メートルと1000メートルで金メダルと銀メダルを首にかけたとき、イ・ギュヒョクは15位、9位にとどまった。

    試合が終わった後、イ・ギュヒョクはそのままスケートリンクに倒れて涙を流した。帰国後、イ・ギュヒョクは「競技の前に眠れなくてコンディションが悪く、失敗を予感した。何よりも、だめだとわかっていながら挑戦することが一番大変だった」という言葉で国民を涙させた。

    バンクーバー五輪直前の同年1月、日本の帯広で開かれた国際氷上競技連盟(ISU)世界スプリント選手権1000メートルで優勝したイ・ギュヒョクだったので、悔しさはより濃かった。すべてが「これで最後」と考えるとき、イ・ギュヒョクはだるまのように再び立ち上がった、6回連続五輪出場という大記録とともにソチのスケートリンクを踏む。

    イ・ギュヒョクは「過去五回のオリンピックでは、‘緊張’という表現以外は何も思い浮かばない」とし、「誰もが夢見るオリンピックが、‘緊張’でのみ記憶されるとは悲しいだろう。今回はメダルではなく、本当に楽しく最後の大会を戦いたい」と語った。

    もちろんメダル欲が全くないわけではない。昨年のソチオリンピックD-100メディアディ当時、イ・ギュヒョクは「五輪の舞台を踏む時‘出場’にのみ意味を置く選手はいない」とし、「メダルの自信が無いならば、私が最初に太極マークを返却しただろう」と語った。「2006年大会までは、‘一人’走るという考えでつらかったが、いまや後輩がいて心強い」というイ・ギュヒョクは、10日午後10時と12日午後11時に行われる500メートル、1000メートルで最後の疾走に乗り出す。
  • 毎日経済_ソチ=チョ・ヒョソン記者/ソウル=チョン・ソクファン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2014-02-04 17:01:19