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希望を与えた「裸足の女王」朴セリ…引退ラウンドで涙

    △写真=13日に開かれたLPGAツアーKEBハナ銀行チャンピオンシップ第1ラウンドで、「引退ラウンド」を繰り広げる朴セリが笑いながらフェアウェイに向かって歩いている。 [写真提供= KLPGA]

    生涯でこんなにたくさん泣いたことがあるだろうか。今シーズンを控えて引退を宣言した朴セリ(38・ハナ金融グループ)は、今年「涙の女王」と呼んでもよさそうだ。 「デビュー初年度以外は、優勝しても涙を見せたことは記憶にない」と言うほどの朴セリだ。しかし「最後の」という言葉の前では、鋼(はがね)のメンタルも効果がなかった。 1996年、韓国女子プロゴルフ(KLPGA)ツアーに入会した後、なんと21年間を熾烈に生きてきた情のうつるフィールドを離れると決定した後、すべての大会・イベントには「最後の」という意味が盛り込まれている。

    そして本当に現役最後のラウンドの時が訪ねてきた。 13日、韓国唯一の米女子プロゴルフ(LPGA)ツアー「KEBハナ銀行チャンピオンシップ」第1ラウンド。仁川永宗島スカイ72ゴルフクラブのオーシャンコース1番ホールのティーボックスに立つ前に朴セリは「今日、プロゴルファーとしての最後のラウンドだが、18番ホールを終えた後に泣いてはならないのに心配が先に立つ」と述べた。

    実際に、朴セリは前日開かれた大会前夜祭のガラディナーショーで引退所感を明らかにして、涙をひとしきり絞りだした。しかし、この日は気を引き締めた。 1番ホールで自分を待っているギャラリーに明るい笑顔を作って見せて手を振った。 「泣くのはやめよう」と強く決心した。

    ショットの一つ一つが大切だった。ボギーが出ても良かった。これまで朴セリにとって各大会は激しい戦場だった。しかしこの日はフィールドを歩いて、選手たちの姿を見て試合に集中していなかった。 「最後のラウンド」だったからだ。成績は重要でなかった。数多くのギャラリーは、朴セリの最後の姿を見るために彼女につきしたがって応援した。この日だけはギャラリーの騒音さえ大切に感謝した。

    いつのまにか18番ホールのグリーンに着いた。最後のパットを入れた瞬間、選手生活をしていたパク・チウンやキム・ミヒョンなどが朴セリに花束を渡した。 「ご苦労さま」という意味だ。そして「朴セリ裸足ショット」の背景音楽として流れていた『常緑樹』をリトルエンジェルス合唱団と歌手ソン・スンヨンが一緒に歌って、会場はしばらく18年前に戻ったようだった。続く朴セリのハイライト動画。 「セリ・キッズ」と呼ばれる多数の選手と外国人選手たちまで、その場でともに惜別の拍手を送った。

    屈せずに涙をこらえていた朴セリも、もはや耐えられなかった。顔は笑おうとしたが、目は涙があふれることを止めることができなかった。

    「朴セリ」と言えば浮かぶ最も最初のシーンは、おそらく素足の闘魂だ。1998年LPGAツアーUS女子オープンの延長戦。まだあどけない姿の21歳の朴セリは、延長18回目のホールでティーショットが池の端にはずれると、とまどうことなく靴下を脱いで水中ですばらしいショットを放った。

    その瞬間、テレビに映った数多くの練習で陽に焼けた足と靴下の中に隠されていた真っ白な足の克明なコントラストは、試合を見守っていた国民に深い感動をもたらした。当時、IMF外国為替危機でうめき声していた国民は、彼女の粘り強い闘魂と優勝にしばらく痛みを忘れて熱狂した。そして「できる」という肯定のエネルギーが国民の心の中に刻まれた。忘れようとしても決して忘れることができない、あまりにも強力な「一発」だった。

    この「一発」は、女性ゴルフの版図までを変えた。シン・ジエ、チェ・ナヨン、パク・インビなど「セリ・キッズ」が出てきた。韓国だけではない。馮珊珊(ポンサンサン)は「中国の朴セリ」、世界2位アリヤ・ジュタヌガーンは「タイの朴セリ」と呼ばれる。一言で、朴セリは「アジア女子ゴルフのモデル」になったのだ。

    いまや熾烈な戦場のようなフィールドで、朴セリの姿を見ることはない。物足りなさと歓喜を後にして、第2の人生を始める時が来た。朴セリは「これから新しい場所に行こうと思う」とし、「新しい人生を生きてもいっぱい応援してほしい。もしか私正しい道を行かないときは、これまで愛してくれたように鞭をお願いする」と語った。
  • 毎日経済_チョ・ヒョソン記者 | (C) mk.co.kr | 入力 2016-10-13 19:14:06