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[科学の香り] 世界で初めて心臓移植を成功させた医師

    心臓は昔から生命力の源泉として認識されてきた。古代エジプト人は、亡者(死者)の心臓を秤(はかり)にかけ、生前の罪の重さを測る神がいると考えており、天神祭の祭物として生きている心臓を捧げるところもあった。

    ギリシャ神話の中のエロースは、人の心に金の矢を射って恋に落ちるようにしたり、逆に鉛の矢を射って恋を拒否するようにしたりもした。愛の象徴であるハートが心臓と同じ単語であるということは、心臓に人の靈魂と心がすべて含まれているという意味として読める。

    17世紀、ウイリアム・ハーベー(William Harvey)により、心臓は霊魂の中心ではなく、血液を循環させるポンプだという事実が明らかになったが、それでも心臓の重要性が減少したのではなかった。生き残るために、心臓は一瞬たりとも休まず、動かなければならなかった。心臓の拍動を妨害するすべての種類の傷害や病気は、単に不便な痛みのレベルを超えて、生存の問題に直結するからだ。したがって、徐々に拍動が止まっていく心臓を持っているという事実は、胸に時限爆弾を持って生きていくというのと同じことだった。

    その時、誰かが画期的な方法を考えた。だんだん止まっていく病弱な心臓を、健康な心臓に変えることはできないか。

    この夢のような話が現実になったのは、今から47年前だった。1967年12月3日、南アフリカ共和国のケープタウンにあるグルートシューア(Groote Schuur)病院で、人類初の人対人の心臓移植手術が行われた。当時の執刀医は、クリスチャン・バーナード(Christiaan Neetihling Barnard、1922~2001)と呼ばれる45歳の外科医だった。彼の前には、2人の患者が横になっていた。1人は末期心不全で苦しんでいた男性ルイス・ワシュカンスキー(Louis Washkansky)で、もう一人は、前日の交通事故で脳死状態に陥った20代の若い女性デニス・ダーバル(Denise Darval)だった。

    • 世界初の心臓移植を成功させた医師、リスチャン・バーナード(写真=ウィキペディア)

    ワシュカンスキーは、どんどん固まっていく心臓により死んでいく状態にあり、ダーバルの心臓はまだ力強く拍動していたが、脳が壊れて数日後に自然に止まってしまう運命だった。バーナードと18人で構成された手術チームは、ワシュカンスキーの胸から故障した心臓を除去して、健康で若いダーバルの体から外した心臓を移植するために一糸不乱に動いた。ワシュカンスキーの動脈と静脈に接続されたダーバルの心臓が、他人の体で最初の心拍を開始した。ついに世界初の心臓移植手術が成功したのだった。手術チームから歓声が上がった。彼らは、目の前で行われた現代医学の奇跡に喜んでいた。特に5歳の時に、心臓病を患っていた兄弟を失った経験を持つ執刀医バーナードの悔恨と喜びは、これ以上ないほど大きかっただろう。

    惜しくも、最初の心臓移植というドラマの結末は、残念ながら流れてしまった。ワシュカンスキーは手術後わずか18日後、肺炎より死亡してしまい、ダーバルの心臓はたった18日間だけ本来の機能を発揮したからだ。ワシュカンスキーは手術を受けていなかったとしても、18日程度は生存することが可能だったため、心臓移植は成功したが、患者の寿命の延長には役立たなかったというアイロニーな結果に終わってしまった。

    しかし、1968年の初めに試みられた2番目の心臓移植により恩恵を受けた患者は、手術後18か月間生存したため、心臓移植が決して「失敗した患者の回復術」ではないことを証明した。バーナードの心臓移植の成功と2番目の患者の生存期間の延長は、世界各国の心臓病患者に新たな可能性を開いてくれたが、1970年代前半までは心臓移植はあまり活発に行われていなかった。心臓移植手術の後に必ず必要な免疫抑制剤の副作用が非常に激しく、手術から1年以上生存する患者が極めて少なかったからだった。

    そこで本格的な心臓移植の時代は1983年から始まる。1983年は、効果が優れ副作用が少ない免疫抑制剤であるシクロスポリン(cyclosporin)が米国食品医薬品局(FDA)の承認を受けて正式に販売された年だった。シクロスポリンの適用と移植に関連する他の医学的発展の助けに支えられ、21世紀の現在、心臓移植後に1年以上生存する確率は90%を超えた。また、5年以上の生存率も75%を超えて、今の心臓移植は名実共に末期の心臓病患者に最も効果的な治療方法として浮上している。

    しかし、心臓移植の成功率が高くなると、逆説的な問題が現われ始めた。移植を望む患者の数は急増した一方、心臓の臓器提供者の数はほとんど伸びず、深刻な供給不足により、移植を待っている間に死亡する患者が増え始めたのだ。また心臓は腎臓とは異なり、一人に一つだけ存在し、また、部分移植が可能な肝や骨髄とは異なり、全体を移植しなくてはいけないため生体移植が不可能だ。

    さらに、心臓は拍動が止まらない状態でのみ移植が可能で、ほとんどの遺体寄贈者は心臓のドナーとなることができない。つまり、心臓移植は死んだ人から受けなくてはいけないのに、その提供者が完全に死亡した状態ではいけないという二重の条件をすべて満たさなければならない。そのため、健康な脳死者のみ心臓のドナーとなることができるため、他の臓器に比べてさらに待機時間が長くならざるをえない。

    そのため、最近では絶対的に不足している移植可能な心臓の供給量を増やすために様々な試みが行われている。そのうちの一つは、2014年10月にオーストラリアのセント・ビンセント病院の医療スタッフが世界で初めて成功した、「止まった心臓」の移植だ。彼らはすでに動物実験を通じて、個体が完全に死亡し、心拍が完全に止まった心臓でも、その時間が20分を超えていない場合、特殊な溶液で処理して、酸素が含有された暖かい血を流し込む方法を利用して、心拍を蘇らせることが可能であることを観察した。

    彼らはこの方法を人に適用して、それぞれ15~20分程度の止まっていた遺体の心臓を3人の患者に移植して、すべて回復させることに成功したと発表し、心臓移植の新たな未来を切り開いた。この方法を利用すれば、脳死者でなくても生前に死体寄贈を希望した人であれば、誰でも心臓のドナーになることができるため、より多くの人々が新しい心臓を見つけることができる。

    しかし、この方法は、とにかく誰かが死んでこそ、自分が生きることができるという生命交換の1:1の法則から脱することができないという根本的な限界を持つ。だから、ある人たちは誰かの犠牲なしにも新しい人生を得ることができる方法、すなわち、人工心臓を研究したりもしている。

    1957年から動物を用いて試みられた人工心臓移植は、着実に発達してきた。1973年、米国ユタ大学の研究者は、人工心臓を付着した子牛を297日間生存させることに成功した。相次ぐ動物実験の成功に自信を得たユタ大学のウィリアム・デブリース(William DeVries)博士は、世界で初めて1983年12月1日、人間に人工心臓を接続する画期的な試みをすることになる。

    最初の移植患者は、人工心臓を接続し、112日を生きることに成功し、同時期に手術を受けた、また他の患者は620日をより長く生きたが、初期の人工心臓は重さがなんと170kgに達し、移動が不可能だったため、完璧な生存とは言えなかった。しかし、人工心臓移植の可能性があるというニュースが伝えられると、優れた技術者たちが人工心臓の改善に乗り出した。2008年に米FDAによって承認された人工心臓は、心臓の機能の代わりをしながらも、心臓よりやや大きくて移植手術後に、軽い外出活動も可能だという。

    現在、この人工心臓の移植を受けた人は世界的に13,000人に達し、初期手術患者の一部はまだ生存しており、毎日のように人工心臓移植生存率の新記録を更新している。常に拍動する心臓の鼓動の分だけ健康的な生活のための人類の努力も絶えず鼓動しているわけだ。
  • 毎日経済 文:イ・ウンヒ コラムニスト、コラム提供:韓国科学技術情報研究院(KISTI) | (C) mk.co.kr | 入力 2014-12-16 09:51:09