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  • Q.
    SBS「次から次へと続く話」で紹介された平沢の乳児請負拉致事件について教えてください
  • A.
    生後70日の幼い息子を抱いて道を歩いていた女性が連れ去られ、赤ちゃんは奪われ女性は殺害された事件は忘れられそうになっていました。

    21歳の若い母親は家の近くで赤ちゃんを拉致しようとうろついていた一味に強制的に連れて行かれました。偶然、赤ちゃんを盗もうとする一団の目に入ったからです。

    新生児を連れてきてほしいという依頼を受けた便利屋の従業員と友人と義弟の3人はコさんを発見し、その後を追って狭い路地に入ると2台の車で前後を塞ぎ親子を強制的に車に乗せて連行しました。抵抗するコさんを首を絞めて殺害した後、遺体を江原道(カンウォンド)の山に埋葬し赤ちゃんは依頼人に渡しました。

    悲劇的なこの事件は発生当時、あまり注目を受けませんでした。親子が行方不明になった2004年5月にはノ・ムヒョン大統領の弾劾により国全体が騒々しく母親の遺体が発見された6月にはメディアは一面にキム・ソンイル拉致事件を取り上げていたからです。

    *米軍軍納会社カナ貿易の社員としてイラクへ行ったキム・ソンイルさんが2004年、イラク戦が終わった直後、IS電信である「唯一神と聖殿」に拉致され斬殺された事件です。

    埋葬された母親の遺体は約20日後に発見されましたが、赤ちゃんの行方はもちろん生死さえ分からなくなっていました。

    • 出典 – YTN



    乳児請負拉致及び母親殺害事件は、1人の女性の貪欲と途方もない愛情行動から始まったものでした。

    事件の頂点には1990年に結婚して1男1女の子どもまで持つ38才の女性がいました。10年以上の結婚生活で夫と頻繁に不和を経験していたキムさんはナイトクラブに出入りし5歳年下のチェさんに出会います。財力家の息子である上、外見も立派なチェさんにはまったキムさんは家を出て彼と同居生活をするようになります。

    毎日、不安に過ごしていました。いつ自分の正体がばれるか、年を取った女性に愛想が尽きて別れようと言われるようにならないか。恐怖に包まれたキムさんは「子どもができた」と嘘をつきます。

    チェさんの家では年上の女性を嫁に受け入れるのを拒みましたが、妊娠したという話を聞いて結婚を許しました。代々、大切な子孫だったからだそうです。

    一男一女の母親は、このように5つ年下の男性と結婚することになります。もちろん前の夫と離婚してもいないし戸籍が整理されてもいない状態でした。

    家族全員が米国に住み自分は1人で韓国に来て英語講師として働いているという嘘をついたキムさんは、結婚式には便利屋に依頼し結婚式に来るゲストまで買いました。アメリカから来たゲストはみんな便利屋で斡旋したアルバイトのゲストたちでした。

    結婚までしたのですが、もっと大きな問題が残っていました。キムさんは、もう子供を生むことのできない身だったのです。

    最初はシングルマザーの保護施設で赤ちゃんをもらおうとしましたが、夫が同行せず1人で赤ちゃんを探している女性を不審に思った保護施設の関係者に断られてしまいました。数回の試みが水の泡となったため便利屋の従業員のチョンさんに手付金として4,000万ウォンを払って赤ちゃんを手に入れてほしいと依頼しました。赤ちゃんを手に入れてくれれば3000万ウォンを追加で払うという成功報酬まで約束しました。

    便利屋で赤ちゃんを探している間、キムさんは米国に行って赤ちゃんを産んで帰ってくると夫(?)に噓をついた後、行方をくらませました。

    生活苦に追われていた便利屋のチョンさんは義弟や友人まで連れていって赤ちゃんを手に入れようとしましたが、うまくいかなかったため赤ちゃんを拉致しようと決心したのです。とにかく赤ちゃんの母親を殺害した犯人たちは赤ちゃんをキムさんに渡しました。成功報酬をもらった後も金をもっとくれなければ夫に事実を知らせると脅かし1億4000万ウォンをさらに騙し取ったりもしました。

    残酷な事件の全貌が明らかになったのは偶然でした。事件発生から7か月が過ぎた2005年1月末、車に乗って江南区(カンナムグ)三成洞(サムソンドン)を通っていたチョンさんは、ひき逃げの検問をしていた警察を避け逃走を試みました。 そうして警察の追跡の末、捕まりました。

    警察の検問を避けて逃走したのですから警察としては当然怪しく思うでしょう。逃走車両を捜索している途中、バッテリーのない携帯電話が発見されました。出所を尋ねると道で拾ったり中古車を買った時からあるなど、つじつまの合わない答えばかりでした。

    捜査官はバッテリーを交換した後、通話履歴の最後に残っていた番号に電話をかけました。そして決定的な陳述を聞きました。

    「あなたたち誰ですか?この番号は私の友達のものですが、私の友達は7か月前に死にました。殺されたんです、ところであなたたちがどうしてこの番号から電話を?」

    決定的な証拠を手にした警察に追及されたため、一味は結局、自白するしかなかったのです。
    そして、赤ちゃんは生きているという話を聞いた警察によりキムさんは逮捕され、赤ちゃんは実父のところに帰れるようになりました。

    チョンさんたちが警察の検問に素直に応じていたら、そして車の中にコさんの携帯電話がなかったら事件の全貌は明るみに出なかったはずです。それで犯人たちが天罰を受けたという話も聞こえました。

    事件の中心人物であるキムさんには殺人や殺人教唆の疑いは適用できず乳児拉致の疑いだけが適用され懲役5年の刑が宣告されました。