記事一覧

ニュース

数字経済

テクノロジー

コラム

ビューティー

カルチャー

エンタメ

旅行

韓国Q&A

新造語辞典

もっと! コリア (Motto! KOREA)
HOME > 韓国Q&A

  • Q.
    韓国で住民登録番号が導入された流れを教えてください。反対する人はいませんでしたか?(上)
  • A.
    1968年1月、北朝鮮の特攻隊が青瓦台を襲撃する事件が起きました。韓国軍の軍服で偽装した浸透組31人が、夜間に休戦ラインを越えて青瓦台(大統領府)近くまで潜入してきたのです。警察の検問にひっかかり、銃撃戦が行われました。警察と軍人、駐韓米軍まで出動して捜索作戦を行い、29人を射殺しましたが、その中で軍人と警官66人と米軍4人が死亡しました。

    韓国全域が非常事態になりました。「武装共産軍とスパイを探し出せ!」北朝鮮から侵入してきたスパイを捕まえるために動員された方法の一つが、住民登録番号でした。その年の5月に住民登録法を改正して、18歳以上の国民一人一人に番号を付与しました。そして2年後、いくつかの条項を修正して、住民登録証の発行を義務化し、身元確認の目的で使用するように法律で決めました。

    「なぜ国家が強制的に番号を付与するのか」と抗議する人は誰もいませんでした。抗議でもしたものなら赤色分子(社会主義者や共産主義者を指す言葉)に追い込まれる状況だったからです。実際、1962年に市・道民証が発行された際には、二重登録が可能だったにもかかわらず、赤色分子には住民登録証が発行されないという話が出回るほどでした。反発どころか住民登録番号をもらえないのではないかと心配する必要のある状態だったため、番号付与作業は一気に進みました。

    その後、20年間、夜間外出禁止令が施行される、事実上の軍事政権執権が続いたため、韓国人にとって住民登録番号は自然な生活の一部となりました。警察の検問時に住民登録証がない場合は困った状況になり、住民登録番号一つで警察は身元を簡単に把握しました。

    最初に作った住民登録番号は現在の(13桁)とは違う12桁のコードでした。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は「110101 - 100001」番を受け取り、「こじんまりと上手く作ったな」と語ったといいます。

    12桁のコードは、現在のように個人を識別できる情報がほとんどありませんでした。最初の6桁は地域コードで、後の6桁は性別と地域と住民登録順による一連番号でした。現在のような13桁のコードは1975年に当時の韓国開発研究院(KDI)のキム・デヨン首席研究員が米国の社会保障番号システムを参考にして作ったものです。

    韓国の住民登録番号は個人を識別できる情報がすべて含まれています。生年月日はもちろん、出生地や住んでいた町を知ることもできます。童顔だからと若い女性と付き合おうとする中年男性や、老顔だからと大人のふりをする若い人も「住民登録証を出せ」という言葉の前には無力にならざるを得ません。住民登録番号さ提示すれば別途の成人認証を行う必要がないという利点があるにはあります。

    参考までに、住民登録番号の13桁の前の6桁は生年月日です。生まれた年は西暦を基準にして、後ろの2桁を取って使うため、例えば2015年生まれであれば15、1999年生まれであれば99になります。後ろの7桁は性別と出生地(登録地)と一連番号、検証番号です。検証番号は特殊なルールで作られますが、公式がほとんど公開された状態であるため、あまり意味がありません。

    性的少数者の場合は、生来の性がそのまま番号に含まれいるため、困難な立場にさらされることもしばしばあります。住民登録をした地域を番号で知ることができるので、北朝鮮から脱出した人々が中国でビザを拒否されることもあります。

    なぜなら、脱北者は教育機関の場所である京畿道安城のハナウォン(ハナ院)を住所としているので、住民番号に125、225、325、425などが入ると、脱北者と見なされ、ビザが拒否されるのです。さらに安城で生まれ育った人も、中国のビザを取得するには家族関係証明書などの、脱北者ではないという証拠を提示しました。

    このようないくつかの欠点にもかかわらず、住民登録番号をめぐる特別な摩擦はありませんでした。実際に不便はなく便利な点が多かったのです。

    しかし、インターネット時代を迎えて便利だった住民登録番号にもいろいろな副作用が出始めました。

    次回は、住民登録番号によって生じた否定的な側面をお伝えします。