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  • Q.
    イテウォン殺人事件について教えてください。
  • A.
    梨泰院(イテウォン)は韓国の中のアメリカです。周辺に龍山米軍基地があり、米軍属が集まって住む所が梨泰院です。お店の英語の看板だけを見ても、ここが韓国なのか、外国なのか判断がつかないほどです。

    アメリカの大衆文化、少し大げさに言うなら退廃的な享楽文化が韓国に初めて登場するところも、ここです。ゲイバー、ホストクラブ、探してみればないものがありません。世界各国から人々が押し寄せる地域でもあるため、レストランのメニューも非常に国際的です。どの国の人であれ、故郷の味を見つけることができると言われています。

    1997年4月3日の夜、ここで殺人事件が起きました。ガールフレンドを家に送った帰りだった大学生のチョ・ジュンピルさん(当時23歳)がハンバーガー店のトイ​​レに入っていきました。用事をすませてお店を出てきたチョさんは、そのお店に入ってきた韓国系アメリカ人2人と遭遇したました。

    今回、米国から送還されてきて裁判を受けるアーサー・パターソンと、エドワード・リーがまさしく彼らです。しばらくしてチョさんはトイレの床に血だらけになったまま倒れた状態で発見され、警察と救急隊員が通報を受けて出動しましたが、過多出血で命を落としてしまいました。

    次の日、米陸軍犯罪捜査受領部(CID)は、犯人が米軍属の息子であるパターソンだという情報提供を受けます。彼はいつも凶器を持ち歩きながら友達に自慢し、普段から暴力的な性向を見せていました。エドワード・リーは父から追及された末に、自分も事件に関与したと自白して、容疑者は2人になりました。

    事件は一見単純に見えます。 2人の容疑者がいます。誰が凶器を振り回した犯人であるかだけ明らかにすればいいのです。

    ところが、ここで捜査機関のミスが出てきます。韓国の警察は、パターソンが血まみれだったという点、手に米国のギャングのマークがあり、殺害手法が、そのギャングの手法と似ているという点を挙げてパターソンを容疑者として指名しましたが、検査は被害者が加害者よりも背が高いという解剖の結果をもとに、エドワード・リーを法廷に立てました。

    エドワード・リーは、2審まで有罪判決を受けましたが、最高裁で証拠が不十分であるという理由で無罪判決を下されました。一方、パターソンは単純な凶器所持罪で有罪判決を受けて服役した後、釈放されました。

    チョ・ジュンピルさんの遺族としては理解ができません。遺族らはもう1人の容疑者であるパターソンを訴え、警察が捜査に着手しましたが、すでに彼は米国に逃走してしまった後でした。放送局の取材陣が把握した結果によると、担当検事がキャバクラの贈収事件に巻き込まれ、集中できずにいたせいで出国禁止措置を延長していなかったのです。

    国民の命も担保できない韓国司法機関の未熟な行動が、この事件を韓国民の脳裏に刻印させました。

    遺族は捜査機関の誤りにより精神的被害を受けたとして、国を相手に損害賠償を請求をして、ソウル高裁では遺族に3400万ウォンを支給するようにという賠償判決が下されましたが、最高裁は「まだ確定判決も出ておらず、調査をまったくしないというわけではない」という趣旨で遺族に敗訴判決を下したため、これさえもなかった事になってしまいました。

    米国に逃走したパターソンは、そこでも様々な犯罪を犯して裁判にかけられたりしました。SBS『それが知りたい』の番組チームが雇用した私立探偵は、検察がどんなに探しても発見できなかった、パターソンをすぐに見つけました。

    パターソンは当初犯人と名指しされたエドワード・リーと一緒にいるときに、自分が何度もナイフで刺し殺したと自慢し、韓国の捜査当局を嘲笑したという話も聞こえます。このような事実は、その場にいた他の友人がメディアとインタビューをしながら明らかにしました。エドワード・リーは、遺族に謝罪の手紙を伝達しましたが、申し訳ないと謝罪しながらパターソンが犯人だという証拠を米国検察に提出すると述べたそうです。

    米国はパターソンを逮捕して、韓国検察に引き渡しました。彼は現在、ソウル拘置所に収監された状態で、裁判を受けています。パターソンは、裁判を避けることができないと判断したのか、韓国で弁護士を選任するなど、非常に積極的に対応している状態です。

    事件が発生してから、すでに18年も経ったため、証拠保全が容易ではないうえに、証人として呼ばれるエドワード・リーや彼の友人チェ氏が法廷でどのような陳述をするのか、チョ・ジュンピルさんの無念な死をめぐる法廷攻防はまだ進行形です。



    「イテウォン殺人事件」容疑者パターソンの司法処理日誌

    1997年
    4月3日 ソウル梨泰院1洞バーガーキングのトイレでナイフ​​に8回刺されて死亡
    4月26日 ソウル地検、エドワード(殺人)とパターソン(証拠隠滅、凶器所持)を起訴
    1998年
    1月26日 ソウル高裁、パターソン懲役1年6カ月を宣告(パターソン上告断念)
    8月15日 パターソン刑執行停止決定により、天安少年刑務所から釈放
    4月24日 最高裁、エドワード控訴審判決を破棄差し戻し
    11月9日 チョ・ジュンピル遺族、パターソンを殺害容疑で告訴
    11月24日 ソウル地検、パターソン出国停止
    1999年
    2月23日 ソウル地検、パターソン出国停止1次延長(3カ月)
    5月24日 ソウル地検、パターソン出国停止2次延長(3カ月)
    8月23日 ソウル地検、パターソン出国停止延長申請看過
    8月24日 パターソン、金浦空港を通じて米国に出国
    8月26日 ソウル地検、パターソン出国停止3次延長申請(3カ月)
    9月30日 ソウル高裁、エドワードに無罪宣告
    2000年
    11月~ ソウル地検、米司法省にパターソン所在把握と捜査共助要請
    2002年
    10月17日 ソウル地検、パターソン起訴中止
    2009年
    12月29日 ソウル中央地検、米司法省にパターソン犯罪人引渡し請求
    2011年
    5月17日 パターソン、米LAで逮捕
    12月22日 ソウル中央地検、パターソン(殺人)起訴
    2015年
    9月23日 パターソン、仁川国際空港から入国、ソウル拘置所収監