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もっと! コリア (Motto! KOREA)
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  • Q.
    韓国は全国で高速インターネット回線を利用できますよね、ここまで広まった秘訣はなんですか。
  • A.
    インターネットが何であるかを要約して説明してくれる動画がありました。外国で作成された映像で、外国のサイトにあります。内容が非常に良いと推薦されていたので一度再生してみたのですが、とても見ていることができませんでした。韓国のインターネット環境に慣れているので、何倍も遅く再生される動画を見ていることができなかったのです。「インターネットの速度が速い国に住んでいることを感謝しなさい」という意味で誰かがアップロードしておいたのかもしれません。

    韓国人は昔から高速に慣れていているので、自分が使用しているインターネットが速いか遅いかを判断することができません。少しだけ遅くても通信会社に電話し、コンピューターがおかしくなったと文句を言います。ポータルサイトには、インターネットの速度を上げる方法や機器の宣伝が相次いで上がってきます。

    その通りです。少なくとも韓国が世界に誇れるものの一つです。現在のレベルでも高速ですが速度をより速めようとする計画も進められています。2020年には10gbpsまで速度を上げるというのが韓国の情報通信当局の目標なんですよ。

    韓国のインターネットの速度がどれくらいかって? 自慢になってしまうので速度を比較するのはやめます。質問にも「秘訣」とありますし。

    韓国のインターネット発展史は、不思議なことに経済危機と関連しています。ご存知の通り、韓国は1997年に破産する危機にありました。IMF(国際通貨基金)からお金を借りてようやく倒産を免れました。

    以来、経済危機を克服するために国民は金集め運動に乗り出したりしましたが、当時政権を握っていた金大中前大統領もいくつかの危機克服方案を提示しました。そのうちの一つが情報通信産業の育成です。金大中前大統領が亡くなった時も、故人の業績としてIT強国を実現させた点が挙げられたほどです。

    「世界でコンピュータを最もうまく使う国を作る」というのが金大中大統領の宣言でした。当時、情報通信部を率いたペ・スンフン長官は野戦司令官として家々にコンピュータを普及させ、超高速通信網を敷き、家庭にインターネット回線が入るように陣頭指揮しました。

    おかげで韓半島全域にITブームが起きました。国民的PCも出てきました。1990年代末には、国全体がベンチャーブームに包まれました。ドットコム(.COM)企業が誕生すると、投資したいという人が列をなしました。投資博覧会にも多くのドットコム企業が登場して会場は人で沸き立ちました。ドットコムなら会社経営者が何をしていた人なのかはもちろん、事業内容と成功の可能性を問わず投資する、いわゆる「とにかく投資」が盛んに行われました。そのせいで、一瞬にして一攫千金を握ったベンチャー起業家もいたし、強引な投資により破綻した人もたくさんいました。

    振り返ってみると、経済危機を経験した韓国がITで一本の希望の光を見出し、オールインしたことが、世界最高水準のインターネットの速度を誇るようになった最初の理由です。

    この他にも韓国社会の構造は、インターネット網を張るのに有利になっています。国土面積もそれほど大きくない上、ソウル、釜山などの大都市に人口のほとんどが集中しているので、広い米国よりもネットを張り巡らせることにおいてははるかに有利です。もう一つ欠かせないのが、おそらくハングルです。ハングルはある意味では、英語のアルファベットよりもコンピュータのキーボードを打つにあたって便利です。

    インターネットの伝道師として賞賛を受ける金大中政府の情報通信育成政策も、考えてみれば米国をベンチマークしたものです。米国が1980年代の景気低迷を克服した処方箋が情報通信だったからです。ところが、いざ米国のインターネットの速度は韓国と日本、香港に近づくこともできずにいるので歴史の矛盾した面と言えるでしょう。

    余談で言えば韓国ITの先駆者は、別にいます。

    世界初のインターネットは、1969年に米国国防総省とスタンフォード大学などのコンピュータを接続したARPANETですが、韓国のインターネットは1982年ソウル大学と韓国電子通信研究院が電話回線を介して接続したSDNが始まりです。知らない人が多いですが、米国に次いで世界で二番目に接続されたインターネット網です。これを主導したチョン・ギルナム(全吉男)博士は、インターネットソサエティで殿堂入りしています。

    しかし悲しいことは、インターネット20周年行事にもチョン博士は招かれず、定年退職後も呼んでくれるところがなかったという事実です。結局、日本の慶應義塾大学が副学長として招き入れました。