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  • Q.
    新天地の教祖、イ・マンヒはどんな人ですか?
  • A.
    まず役職名からきちんと紹介しなければなりません。
    新天地では教祖という言葉は使いません。教祖という言葉が通常「異端宗教の教祖」を意味するためでしょう。普通、総会長という役職名で呼ばれていますが、「勝った者」、「代言者」、「保恵師聖霊」、「再臨のイエス」とも呼ばれます。

    再臨イエスを申し出た方たちが韓国にかなり多いのですが、イ・マンヒはその1人(写真下から2番目)です。イエスが再臨する時に白馬に乗って来られるというフレーズのためか、白馬に乗ったりもしました。

    元はと言えば、白馬に乗った救世主がイ・マンヒ以外にも多いです。写真を見て嘲笑する人も少なくないでしょうが、追従勢力への象徴性はすごいです。

    1931年、慶尚北道(キョンサンプクト)清道(チョンド)で10男1女中の6番目に生まれた彼は20代半ばである1957年頃、パク・テソンが率いる天父教伝道館、信仰村に入りました。聞くところによると、母系遺伝疾患であるハンセン病を治療するためだったそうです。信仰村で10数年間滞在した後、ユ・ジェヨルの幕屋聖殿、ソロモン再創造教会などを経て1984年新天地を設立しました。

    上の図表では、一番上にキム・ベクムンが載っていますが、彼はキリスト教で異端かどうか口論が繰り広げられ様々な主張を体系化させた人物です。彼の弟子の中でパク・テソンが天父教を創始し、ここから永生教、エデン善花、東方教、幕屋聖殿、そして新天地になります。 ちなみに、幕屋聖殿のユ・ジェヨルは自作曲『江南スタイル』でワールドスターになったPYSの義父です。現在は事業家に変身しました。

    新天地側では、ユ・ジェヨルの従来の幕屋聖殿系列は、自分たちの到来のための「初の幕屋」と呼んでいます。

    イ・マンヒは果川(クァチョン)に教会を建て、現場で直接教理を教えましたが、1990年に無料聖書神学院を開講した後からは総会長の職だけに専念しています。

    イ・マンヒは2002年に新天地の修了式で初めて会ったキム・ナムヒと内縁関係を維持しながら、本妻ユ・チョンスンと離婚して伝統婚礼を挙げました。彼の年を考えると…それだけでも驚きです。

    しかし、キム・ナムヒは2017年11月新天地から除名されました。理由は、側近たちと共に新たな教団を建設しようとしたという背道です。キム・ナムヒの暴露によると、持続的に物質的な要求をしましたが、イ・マンヒは「キム・ナムヒが新天地の後継者だ、新天地のお金がキム・ナムヒにすべて流れた」というウワサを晴らそうともせずに、1000億ウォンを調達してくるようにと要求してきました。そのため、キム・ナムヒはイ・マンヒに対して愛想が尽きたそうです。

    現在はキム・ナムヒと新天地は財産問題をめぐり法廷争いをしています。

    今年初めまで、イ・マンヒ総会長や新天地について、一般の人々はほとんど関心を持っていませんでした。そして新年に入って新型コロナウイルスのスーパー伝播者に、世間の注目を一身に受けているところです。

    3月2日、北朝鮮が東海上に短距離ミサイルを2発飛ばしたのに、韓国のメディアの視線は同じ時間に行われたイ・マンヒの記者会見に集中しました。